3/夜の出会い

 学業という足枷から開放され、帰路という名の道を自宅まで歩いていく。
夏と違い冬の日暮れはとても早く、夏の夕暮れ時の時間にはもう辺り一面薄暗くなって
きている。もう少し時間が経てば大学や住宅街の周りも例外無く夜の顔を見せるが、
流石に都心の街中では夜が訪れても明かりも多いため暗闇が占める割合は少ない。

 しかし、丘の湖や自宅がある千夏町では、年頃の若い女性が一人で出歩く事はできない
ほど暗く静かな空間と化す。ましてや夜は霧も濃くなるため、よほどの事が無い限りは
今の自分のように一人になることはないだろう。

 その暗闇と化す湖のほとりに今自分はいる。朝の新鮮な湖の空気と心地よさも好きだが、
夜の霧に埋もれている湖の幻想的な風景もとても気に入っている。そのため帰り道には
ここに寄りこの独特の空気を満喫してから帰宅する、そんな選択肢を取る事も少なくない。

 そんな中、自分と同じように一人の少女がベンチに座っていた。智子だ。彼女は少し
遠目で湖を見定めるかのように静かに佇んでいた。こちらにいる遊歩道が彼女の後ろに
伸びているため、まだ自分が来た事に気付いていないようだ。

「なにやってんだこんな時間に」

 掛けた言葉に彼女はびくっと反応し、サッとこちらを見たとたん安心した面持ちだった。

「ビックリしたぁ、いきなり声掛けないでよね」

「そりゃ悪かったな。でもしょうがないだろ?声掛けるまで全然気付かないんだからな。
それに今の反応見た限りじゃお前無防備過ぎだ。なんだってこんなとこに一人でいるんだよ」

 智子にそう言うと驚きと戸惑いを隠せないようで、言おうとしている言葉が見つからない様子だった。

「……そう言う葉こそどうしてここに居るの?」

 自分がここに居る理由を探すより俺がここに居る理由のほうが気になるらしい。

「それは、だな。ちょっと小太郎に釘を刺されてな。ここにお前が居るって聞いたから、さ」

「小太郎君が……そう」

「ともかく俺も座るな」

「う、うん」

 そう言って彼女は気持ち自分の位置をずらして隣を空け、自分はそこへ腰を下ろした。

「……」

「……」

 ――静かだった。辺り一帯は霧の中静寂を守り、町の喧騒が届かないほどの世界を保っていた。

 静寂が満たされた中で溶け込むように2人とも沈黙を保っていたが、それは苦ではなく、
むしろ穏やかな地持ちを持たせてくれた。

「そう言えば小太郎に聞いたんだけど、叔父さん達出かけるんだって?」

 沈黙を破るのは心苦しかったが、今聞いておくべきだと判断してそう質問する。

「え、あ、うん。お父さんが仕事の都合でちょっと長居するみたいだから、それでお母さんも
付いていくことになったの」

 彼女のお父さんはルポライターで、全国を回り歩くやり手の営業マンでも在る。ちょくちょく家を
空けては、やれ北海道だの、やれ沖縄だのと、自分が気に入った話があるとすぐに飛んでいき
情報を入手する忙しい人である。

 そのせいあってか彼女の家に遊びに行くと面白い話や珍しい話を聞かされ、自身の腕と足で
稼いできた話題を尽きることなく話す、そんな能弁な人であった。

「叔母さんも付いて行ったのか。でも二人で行くなんて珍しいな。なんか重要な仕事でもあるのか?」

「ううん、別にこれといって何かあるわけじゃないの。単にお父さんが行くところがお母さんの実家に
近いから、旅行ついでに2人で行こうって話になっただけ。」

 なにか重要な事でもあるのかと思ったら、答えはありきたりなものだった。

「そっか…、だったら智子も行けば良かったじゃないか。大学だってもう休みなんだし、
いい気晴らしになるんじゃないのか?」

「…う、ん。それはもちろん思ったけど、夫婦水入らずもたまには良いかなと思って」

 えへへ、と素直な笑顔でそう言った。
だがその笑顔とは裏腹に彼女の顔には満面の笑みとは言えない雲が罹っていた。

「…何か言いたそうだな、相談事か?」

 突然の質問に虚を突かれたようで「えっ」と、言葉を失っていた。

「う、うん。あ、あのね…。これは私が言い出した事じゃないんだよ?お母さん達が聞いてみろって
五月蝿かったから、仕方なく聞くんだよ?」

 あぁ、と答えてから考えてみると、どうやら彼女は俺に聞きたいことがあるらしい。

「それが朝聞いてたのと関係あるのか?たしか休みをどうするんだ言ってたけど」

「う、うん。あのね、休みをどうするのかは聞いたよね?あれにはまだ続きがあるの」

 頷きながら彼女の話を聞く。

「でね、お母さん達が言ったのは…その…、休みに予定が無いならね、家に……
泊まりに来なさいって……。それをどうか聞いてみろって……」

「……」

 ―――ちょっとまて、今なんて言った?泊まりに来い?智子ん家にか?なんで、どうしてだ?

「あぁ~あのね!たぶん冗談で言ってたんだと思う!今時親がいないのに寂しいんだって思っててさ、
私一人だけだからって心配してるの。余計なお世話って感じだよね!あはは!」

 顔を真っ赤にし、手をブンブンと振り、大げさに笑いながら彼女は弁論していた。

「……」

 俺はそれに対して、笑えなかった。茶化せなかった。心配しているという彼女が言った言葉に、
朝のニュースと昼に小太郎に聞いた女性昏睡事件をつい思い出してしまったからだ。

 あの事件の被害者はどれも若い女性らしく、つい今朝方も、今自分達がいるこの湖で被害者が
発見されている。それを思うと、彼女の両親の気持ちも分からなくはない。むしろ当たり前の反応と思ってもいいだろう。

「……でもね、心配してくれてるのは嬉しいの。最近物騒でしょ?今日も有ったって言うし……」

 俺の表情を読み取ったのか、今ここにいる現場を思っていったのかは分からないが、事件の事を彼女
自身怖がっている様子だった。

「そうだな。こう立て続けで起こってたら、そりゃ叔父さんも叔母さんも心配するだろうな」

「…うん。」と呟き彼女も肯定していた。

 そんな当たり前の事を自分で言って、彼女の両親は冗談で自分の休みの予定を聞いてきたのではないと自覚した。
昔からの馴染みというのもあるだろうがお世辞にも自分は信用され、信頼されている。だからこそ、自分の娘と
一緒に居てやってくれと頼 んできたのだ、と。

 たしかに最近の事件は簡単に無視できるものでは無い。ましてやそれが彼女の両親の心配事だとしたら、
それに頼られている自分はそれ相応の対応をしなければならないだろう。

「……晩飯」

 考えに考え抜いた上口に出した言葉は、彼女は聞こえなかったのか「今なんて?」と聞いてくる。

「だから晩飯。最近レトルト関係しか口にしてなかったから、お前ん家で作ってくれよ」

 泊まるかどうかは分からないけどな、と心の中でそう呟きながらそう言い放つ。そんな自分はきっと顔を
赤くしながら喋っているだろうなと思ったが、別段厭な気は少しも無かった。

 ちなみに彼女の作る料理は美味いとしか言いようが無い。叔母さんに教わっているのか(叔母さんは
栄養士でそれ相応の技術を持っている)、手の込んだものから簡素なものまでキチンと作れるのだ。

「う、うん。分かった。…ありがと」

 彼女も耳を真っ赤にしながら返事を返し、俯いていた。

「それとも夜怖くて眠れないって言うなら泊まってやってもいいんだぜ?」

 そう皮肉めいた事を言うと、「バカ」と彼女は顔を真っ赤にしながらそう呟いた。





「よし!じゃあ決まりだな。」

 今の何とも言えない雰囲気を弾け飛ばすかのように立ち上がりながらそう言い放つ。
そうしてベンチの目の前にある手すりまで歩き、体を預けるようにしながら湖を見渡した。

 ――やはり綺麗だ。そんな風に頭の中で呟きながらそんな事を思う。

「……綺麗ね」

 傍らで自分と同じ感想を述べた彼女に「あぁ」と、返事を返す。

「そういえば、叔父さん達いつ出かけるんだ?」

 先ほどの会話に無かった質問する。

「えっと、たしか来週頭ぐらいには出かけると思う。」

 来週頭、という事はもうそれほど時間も無いわけか。

「そっか。じゃあ出かける前にでも会っておこうかな。晩飯作ってくれるお礼も込めてさ」

 ニヤっと、笑いながら彼女にそう言う。

「い、いいよ!そんな事しなくても。お父さん達には私が言っておくから」

 また手をブンブンと振りながら反論してくる。手を振るのは昔から変わらない癖だ。

「まぁどの道もう帰ろう。流石にもう遅いしな」

 空を観ながら帰宅を促す。辺り一帯はもう暗黒に包まれ、霧深い湖と相まってか幻想的な世界を創り出していた。

「そうね。話し込んでたせいか何時の間にかこんな時間だったのね。寒い訳だわ。」

 彼女は時計を確認し、体を丸めるようにしながらそう呟く。2人ともコートを着ているが、長時間座り込んでいた
せいか体の芯まで冷え込んでいる。

「だな。早く帰って暖まりたいもんだ」

 先に歩き出し、出口へ向かう。


      「待・・・い・・」


「え?今なんて言った?」

 前を向きながら後ろの彼女にそう投げかける。

「えっ、何が?私何も言ってないよ?」

「は?だって今お前…」

 要領を得ないので振り返りながら、そこまで言って口を噤む。


   ……少女が居た。


 いや、少女と呼ぶべきかあるいは女性と呼ぶべきか(これは後になって思ったことだが)、
自分の遥か後方にある公園内の樹木の前にその少女は佇んでいた。

 こちらを見、言いようの無い何かを感じさせる。しかし恐怖や畏怖などといった感覚は全くせず、
あえて言うなればどこか懐かしさを感じさせるものだった。

「…………」

 何か、囚われた感覚か、それとも魅入っていたのか、少女に対し声を出す事も出来ずに居た。

「葉?ねぇ葉ったら!葉っ!!」

「あ、あぁ。なんだよ」

 と、そんな智子の声で覚醒する。

「なんだじゃないわよ。何度も呼んでたのに、どうしたのよ急に?」

「え?いや、なんでもない」

 智子に声をかけられたため少女から智子の方へ視線を外しもう一度少女が居た場所を見返したが、
先ほどの少女は存在していたのかを疑問に思うほど、その存在も跡形も幻の如く消え去っていた。


 彼女は何かを訴えていた。それとも自分に何かを言いたかったのか。智子との帰り道では彼女の
会話に軽く相槌を打つだけで、頭の中では少女の事だけを考えていた。





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  • 最終更新:2011-12-10 20:17:31

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