日枝露の失恋~First Love~

 君の笑顔が眩しかった
 君がワタシに向けてくれた笑顔が大好きだった
 君はワタシの全てだった
 君はワタシの世界そのものだった
 だから
 君の中からワタシの存在が消えたとき
 この世界にワタシの居場所は無くなってしまったんだ…





 あいつと出逢ったのは幼い時。
 父親の仕事の都合でこの街に引っ越してきて、たまたま近所になって。
 母親どうしの近所づきあいで挨拶して。

『ほら露、新しいお友達よ』
『むぅ…』
『もう、露ってば。隠れてないでごあいさつしなさい』
 当時から人見知りが激しかったワタシは最初は母親の背中にずっと隠れて、新しい友達だという男の子のことを観察していた。
 優しい笑顔を浮かべる男の子。
 その子は隠れているワタシの顔を覗き込んで朗らかに笑いながらこう言った。
『はじめまして。ともだちになってくれるとうれしいな』
 最初は戸惑いながら、それでもその男の子の笑みにどこか惹かれながらワタシは頷いていた。
『……うん』
 
『いっしょにあそぼう』


 初めての友達が出来た。
 けれどもやっぱり他の人と話すのは苦手で。
『むっ……』
『相変わらず人見知りがはげしいね…』
『うるさい』
『僕と初めて会った時もこんな風にお母さんの後ろにかくれていたっけ』
 いつからか、それがあいつの背中になっていた。



『二人ともこっち向いて~』
『むぅっ』
 さっ
 いつものようにあいつの背中に隠れる。
『露、かくれてちゃ写真とれないよ』
『とらなくていい』
 どうも写真に撮られるのは苦手だった。
 そこに写っているのは自分のはずなのに、どこか自分ではない別の誰かのような気がして。
 そんな別の誰かがあいつと一緒に写っているのが嫌で。
『もう、露ったら…思い出に残そうよ』
『…ずっと覚えてるからいい』
 そう、例え形に残っていなくても、あいつとの思い出は大切なもので、いつまでも心の中に残っているんだから。
『まったく、露は恥ずかしがりやなんだから』
 仕方ないなぁといった様子で笑いかけるあいつ。
 ずっと、この想い、思い出は残り続けるのだと思っていた。
 でも、
 あいつの中からその思い出は失われてしまった…



 いつしか、ワタシ達は大きくなって。
 あいつがワタシのことを好きなのはわかっていた。
 別に自意識過剰だとか自惚れなんかじゃない。
 あいつのワタシに対する態度を見れば誰にだってバレバレだ。
 でも、あいつのことだからきっと、今の関係が壊れるのが怖いとかそんな感じでワタシに告白なんてしてくれないんだろうな…
 半ば、諦めてはいた。


 あいつは家族の仕事の都合でこの街を離れなくてはならなくなって。
 でも、この街に残ると決めた。
 ずっとワタシの傍にいてくれると約束してくれた。
 だから…
 あの日。
 バレンタインの日。
「あのさ…」
 精一杯の勇気を絞り出してあいつに告げた。
「放課後、月見丘で待っててほしいんだけど」
 月見丘。
 そこで告白すると幸せになれるという都市伝説。
 そんなおとぎ話信じているわけでもないけど、でもやっぱりこんなワタシでも、ちょっとはムードってものを大事にはしたい。

 柄にもなく手作りのバレンタインチョコなんてもんを用意しちまった。
 チョコを渡して、想いを伝えてやろう。
 そう思って…
「待ってるから」
「う、うん」
 ワタシの言葉に動揺しながらも頷くあいつ。

 そして、
 それが叶うことは無かった…

 あの丘で待ち続け、いつまでも待ち続け、そして知らされたあいつの悲劇。
 手の中のチョコレートが落ちる。
 砕け散るチョコレートの音。

 目覚めたあいつは何も覚えていなかった。
 一緒に遊んだことも。
「なぁ、ワタシのこと、何も覚えてないのかよ…?」
「君は…誰?」
 ワタシのことも。

 何とかして思い出してもらおうとした。

 また、あの笑顔を向けてほしかった。

 でも、
 あの笑顔がワタシに向くことはもう二度と無かった。

 何度も何度もあいつの元へ通って。
 何としてでも思い出してもらおうと努力して。

 でも…
「なんで…何で僕の知らない僕のことを君が知ってるんだ!もうやめてくれ!来ないでくれ!」
 帰ってきたのは拒絶。

 ワタシは必死にワタシのことを思い出してもらおうとしていた。
 だけど、あいつは不安だったんだ。
 自分のことも何もわからないのに、そんな自分に思い出させようとすることに恐怖を覚えていたんだ。
 結局ワタシの自分勝手な努力であいつを傷つけた。

 絶望

 神様にだってお願いした。
 けれど神様は、ワタシのたった一つの願いさえ叶えてはくれなかった。


 駄目だった…
 すべては無駄だった…

 そして、
 あいつはこの街を、ワタシの前から去って行った。



 努力をしたところで、それが報われるとは限らない。
 むしろ、努力して、その努力が何も結果を残せなかったら、努力が無駄だったら…
 だからワタシは努力が嫌いだ。
 いくら努力しても、あいつはワタシのことを、ワタシとの思い出を思い出してはくれなかった。

 それ以来怖いんだ、忘れてしまうのが。
 だから、形になる写真というもので思い出を残す。
 あの時、あいつと一緒に写った写真が一枚でもあったら、もしかしたらワタシのことを思い出してくれたんじゃないか。
 そんな後悔が押し寄せてきて。
 自分の見たこと。自分の感じたこと。記録を残さずには、怖くてたまらないんだ。

 忘れられることほど悲しいことはない。
 自分だけが覚えてて相手は覚えていない、知らないんじゃ、それは存在しないも同じなんだから。



 それはほんの偶然だった。
 ずっと通っていたわけでもない。
 もう、諦めていたから。
 でも、ひょんなことから感傷に浸ってしまった。

 突然帰ってきたあいつ。
 学園祭での邂逅。
「日枝さん」
 そう呼ばれた時の絶望感。
 あいつはワタシのことを思い出してはいなかった。
 ワタシのことをただの元クラスメイトとしてしか記憶していなかった。
 ワタシのことを「露」とは呼んでくれなかった。


 大晦日には月見丘神社で。
『待ち人:来る』
 その時引いたおみくじの即効性には心底呆れたけれど。

 あの時のあいつは手を繋いでいた。
 他の女の子と。
 ワタシ以外の女の子と。
 ワタシ達に見られたことにちょっと照れながら、でも、誇らしくしっかりと手は繋いだままで。
 共にいた委員長はそんなワタシに気を使ってしまって。
 ワタシを初詣に誘ったことをひどく後悔した様子だった。
 委員長が動揺していた分、ワタシは逆に冷静でいられたけど。

 その後の帰り道。
 委員長は何度も何度もワタシに謝ってきた。
 それこそこちらが恐縮するくらいに。
 酷く打ちひしがれて。
 取り返しがつかないことをしてしまったかのように。
 確かにワタシを無理やり初詣に誘わなければあんな場面に出くわすことは無かった。
 でも、結局はこうなることは覚悟していたことだ。
 あいつの中からワタシの存在が消えて無くなった時に。

 そんな年明けを迎え、鬱屈した日々を過ごし。
 そしてまた、バレンタインの日がやってきて。
「ワタシはチョコなんて用意しねーよ」
 そう、チョコなんて用意しない。
 だって、あの時のチョコレートはワタシの想いと共に砕けてしまったのだから。


 でも、
 また訪れてしまった。
 月見丘。
 来ないとわかっているのに。
 約束したから。
 あいつはこの街に帰ってきたから。

 もしかして、なんて淡い期待を抱いてしまって。
 自分でも血迷っていたと思う。
 そんな昔の約束。
 それも忘れられた人間との約束なんて。

「何やってんだろうな…」
 丘から見える夕日を眺めながら、自分の間抜けさに溜息を吐く。
 悲劇のヒロインにでもなったつもりかよ。
 いくら待ったって来るわけがないのに。
 あの時もそうだった。
 いや、あの時とは全然違うのだ。
 あいつの中からワタシは消えてなくなってしまったんだから…
 ワタシの大切な場所、ワタシノイバショはもう、何処にも無くなってしまったんだから。

「露…」
 そんな中、背中にかかる声。
 懐かしい、あの声。
 二度と呼んでもらえないと思っていた名前。
 まさか…
 そんなはずはない。
 わかっていても、振り向かずにはいられない。

 振り向く。
 そこには夕日を浴びた、懐かしい顔。
 ここまで走ってきたのか、息を切らしながら、恐らく逆光になっているであろうこちらを見つめている。
 予想外のことに声が出ない。
 そんなワタシの姿を見て安堵した表情。

「ごめん、待たせた」
 また、あの笑顔を、
 もう二度と向けてもらえないと思っていた笑顔を見せてくれた。

「……おせーよ、馬鹿…」



~Side:Renka~


「お姉さまw」
 背後からの声に呼び止められ、振り向く日枝。
「ん?」
「受け取ってw」
 そんな日枝にちっこい後輩がチョコレートを渡す。
「………」
 しばらくフリーズ。
「………は?」
 10秒ほどして、今更ながら何が起きたかわからないように声を漏らす日枝。
「…え?何この百合百合展開?」
 呆気にとられたようにツッコミを入れる日枝を余所に、満足げに去っていく女の子。
 まぁ、これもどうかと思う展開だけど。
 後輩にも好かれ、最近は他にも友達が出来たみたいだし、あの頃と比べて良い変化だと思う。
 勘違いされやすい性格だったし、日枝の周りに支えになってくれる人がいるのなら安心できる。
 ……まぁ、わたしが言うなって話だけど。


 でも気がかりなのはあいつのこと。
 大切なものを無くしたままこの街に帰ってきたあの馬鹿。
 帰ってきたと知った時、まだ記憶が戻っていないと聞いた時。
 わたしは再び自分の罪の重さを感じずにはいられなかった。
 けれどもあいつはきっと、失ったものを取り戻すために帰ってきたんだと、そう信じていた。
 少しでもあいつの力になれればいいと、それがわたしの義務であり罪滅ぼしなのだと、そう思っていた。
 記憶を失い、あいつがどれほど苦労していたか。
 きっと、わたしなんかじゃ想像もつかないくらい辛かったんだろう。
 そんなあいつだから、幸せになる権利は十二分にある。幸せにならなくてはならない。
 友達と馬鹿騒ぎしたり、彼女を作ったり、失った青春を取り戻して。
 でもあいつは何も思い出さないまま、まして、自分の過去を諦めたまま日枝の前に姿を現し、あの娘を傷つけた。


 大晦日、あいつと再会した時の日枝の様子を思い出す。
 普段の様子からもう振り切ったものかと思ってたけど…
 あれはきっと哀しんでいたんだ。
 やっぱり、あいつのことを忘れられていないんだ。
 当然だ、かけがえのない大切な幼馴染なんだから。


 自分でも失敗したと思う。わたしの責任だ。
 もし、日枝を初詣に誘わなければ、あいつの今を知ることは無かった。
 また、わたしのせいであの娘を傷つけた。

 あいつは日枝のことを忘れたまま、幸せになって。
 あの娘は忘れられたままずっと過去の思い出に囚われ続ける。
 そんなのフェアじゃない。



 本当を言うと、昔はわたしも日枝が嫌いだった。


「日枝ってさー何かねー」
「自分は特別なんだよとかそんな感じよね」
「あんたたちとは生きてる世界が違うのよ的にお高くとまっちゃってさー」
「うちらのことなんて眼中に無いみたいな?」
「この前話しかけたら、誰?みたいな顔されたわよ?クラスメイトだっつーの!」
「西新井君と幼馴染だか何だか知らないけど―」
 クラスの中で日枝を悪く言うグループに混ざって、一緒に陰口を言い合って。

 最初は嫉妬。
 学年でもそこそこ人気の男子だったあいつ。
 自分で言うのも何だけど、わたしは結構ミーハーだ。
 皆と一緒にカッコいい男の子たちの話をしてキャーキャー言ってるのが好きだ。

 あいつとは子供の時、文月お兄ちゃんの結婚式とか、親戚の集まりで一度か二度会っただけの関係。
 その時は同い年の親戚の男の子としてしか見ていなかった。
 同じ中学に入り、あいつと再会して。
 あいつはわたしのことなんて全く覚えていなかったけど。
 当初は、背はあんまり高くないけどそれなりにカッコいい男の子になったな、くらいの印象。
 でも、一緒に過ごしているとそれだけじゃなくて。
 お人好しで厄介事を引き受けたり、貧乏くじを引いたり、それでも笑顔を絶やさない。
 要領があまり良くなくて、どこか放っておけない。
 そんな気になる存在になっていった。

 でも、わたしはただの血のつながりのない親戚でしかなくて。
 だけれど、あの娘はあいつの幼馴染で、いつもあいつの隣にいて。
 何の努力もしていないのにその場所を手に入れて。
 それが妬ましかった。


 でも今は…
 日枝に対するわたしの気持ち。
 これは

 罪悪感。

 あの日。
 バレンタインの日。
 日枝があいつのことを月見丘に呼び出すのをたまたま聞いてしまった。
 それは嫉妬から。
 ほんのちょっと日枝に嫌がらせをしてやろうと思って。
 先生に頼まれていた手伝いをあいつにも一緒にやらせた。
 少しでも待ち合わせの時間に送らせて、待ちぼうけを食らわせてやるために。
 でも…
 結局あいつが日枝との約束を果たすことは無かった。
 わたしがあいつを引き留めてさえいなければ。
 わたしがあの子たちの邪魔さえしなければ。
 あいつはもっと早くに丘に辿り着いていたはずだった。
 あいつが事故に遭うことは無かったはずだった…
 激しい後悔。



「あんたを見ているとイライラするのよ」
 それは自分自身に。
 あいつが幸せになってくれることにより、あいつへの罪悪感は薄れていってくれる。
 でも…
 逆に日枝の幸せを奪ってしまった罪悪感はどんどん募る一方で。

 この大切な日に、あの娘が今までどれだけ辛い思いをしてきたのか。
 あの娘が来るはずもない人をずっと待ち続けていたのを知っているから。

「ワタシはチョコなんて用意しねーよ」
 雪原にそう告げた日枝のことを思い出す。

 あの時の日枝の覚悟はチョコレートと共に無に帰してしまったけれど。
 それでもあの娘はまたあの丘で待ち続けるのだろう。
 あの時の約束を信じて。
 大切な人が来てくれるのを信じて。



 そして…
 帰ってくる日枝の姿。
 終わったみたいね。何もかも…
 それがあの子にとっていい結果であったのかどうかはともかくとして。
 少なくとも、前に進み始めるきっかけにはなってくれたのだと、そう信じたい。



~Side:Tsuyu~


 丘から下っていく。
 停滞していた、止まっていたものは今はもう動き出した。
 何もかもを変えて。
 その変化は良いものなのか、それとも。
 昔の思い出に縛られ続けていた。
 それが今解放された。
 別れの言葉と共に。

 今まで心の中を覆っていたモヤモヤと引き換えに、別の感情が心の中で渦巻き続けている。
 とてつもなく面倒だ。
 だから恋だの愛だのめんどくさいから嫌いなんだよ。
 こんなに胸が苦しくなるから。
 こんなに切なくなるから。
 こんなに悲しい想いをしなくちゃいけなくなるから。

 降りきった先。
 そこには委員長の姿。
「あ~」
 頬を掻きながら気まずそうにしている。
 どうやらまたおせっかい委員長が色々と手をまわしてくれていたみたいだ。

「余計な事しちゃった、かな…?」
「…いや、委員長のおかげで色々片が付いたし。恩に着るよ」
「……よかったの?こんな結末で」
 心配するような瞳。
 どうも、また自分がマズイことをしたのではないかと責任を感じているようだ。
「ふん、昔好きだった女が今更出てきたからって、今の彼女を捨てるような軽薄な男ならこっちから願い下げだね」
「あっそう」
 肩を竦めながらそう言い放ってやったワタシに、でも、委員長がそんなワタシを抱きしめてくる。
「…何さ」
「どうせ家で一人になったら泣くんでしょ。今なら周りに誰もいないし、わたしの胸貸してあげるから」
「委員長って結構意地悪だね…」
 今ここで、泣けとおっしゃる。
 さっきからずっと胸の中で渦巻き続けている感情。
 それをこちとら必死に抑え込んでるってのに。

 この人は、そんなにワタシの涙を見たい、かね。

 仕方、ない。

 ここはお言葉に甘えて、やるか、ね。

「――――っ!!」
 瞳から熱いものが、今までずっと我慢し続けてきたものが溢れてくる。
 上手く呼吸も出来ない。
 喉から意識もしていないのに自然と嗚咽も出てくる。

 ああ…

 そっか、

 泣くってこんな感じだったんだっけ…

「ぃっく……」

 久方ぶりだから、
 
 忘れて、た、よ…

「ごめん、ごめんね日枝…」
「う"あ"あ"あ"あ"あ"ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ"あ"あ"!!!!」

 大好きだった。
 幼い頃出会って
 一緒に遊んで
 ずっと一緒に過ごして
 いつもワタシのことを守ってくれて
 いつでも傍にいてくれて
 いつでも優しく微笑みかけてくれて
 でも今は
 その相手はワタシじゃない。
 あいつの傍にいるのはワタシじゃない、他の女の子なんだ。

 全てを吐き出す。
 哀しい気持ちも。
 切ない気持ちも。
 悔しい気持ちも。
 何もかも。

 大丈夫。
 安心して委員長。
 この涙を出し切ったらいつものワタシに戻るから。
 いつも委員長が呆れてる、適当でいい加減なワタシにさ。
 だから委員長は後悔なんかする必要ないんだ。

 だから、

 今だけは、

 もう少しだけ、この溢れ出る感情をぶつけさせてよ。



  • 最終更新:2016-06-12 00:26:05

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