涼宮ハルヒの変装 その七
*
午後の体育は戦争だった。
事の発端はクラスメイトの議論だったか。
単純に言うと、巨乳と貧乳はどちらが優れているかという議題だった。
──胸とはすなわち女性らしさを表すメタかつグローバルなシンボルである。すなわち、胸が大きいことは女性としても優れているのだ。
──異議あり。ジェンダー的発想からしてもそれは女性差別と読み取れる表現である。胸が無ければ女性でないのか。断じて否。その主張は受け入れること自体が冗談も甚だしい。そもそも人間は元から胸があったわけではない。生まれたままの、純粋無垢な少女らしさを尊重する点においても胸が小さいことは正義である。
──正義という言葉をやすやすと使ってはならない。少女らしさを求めるといっては性癖に異常が見られると思われる。たわわな果実と洗濯板どっちを取るつもりだロリコン野郎。
──日本国憲法においてはいかなる信条を持とうと好き勝手だと明文されている。男が変態で何が悪い。ロリコン上等。我らの幼きを愛でる魂を知らぬ凡俗には鉄槌を下してやる。
──どちらが本当の凡俗か教えてやる。マシュマロのような柔らかさにたゆんと揺れるその美しさ。夏の海のビキニ姿で見られる至福の楽園を自ら否定するなど古の民の考えを真っ向から逆らうお前等を神に代わって成敗してくれる。同士よ立ち上がれ、敵はそこにあり。
──黙れ変態、貴様に我らの気持ちがわかるか、お前等は本当に巨乳を揉んだことがあるというのか。少女へのいたわりを忘れた人間め。発育途中だからこそ、成長していく過程があるからこそ最高なのだと。冬の雪降るプラットフォームでコートを羽織って佇む少女の愛おしいことよ。それが解せないというのなら、よろしい、ならば戦争だ。
思想の違いが戦争を起こし、時代の流れが戦争を変える。その中では人の死は統計上の数字でしか意味を持たない。
そんなわけで男子生徒全員が互いににらみ合う二大勢力がなし崩しにできあがった。体育教師が休みでフリータイムとなっていたことも戦場を構築する好機の一つとなり、どういうわけかスポーツマンシップと手軽さに乗っ取ってサッカーで決着することになった。
俺はどちらかというと大きさが問題ではなく、バランスが合っているかが重要だと思うが、厳格に二極化された中で第三勢力を立ち上げても踏みつぶされるのがオチであることは、重々良く知り得たつもりだったので、人数が揃うように巨乳推奨派に加わることにした。特に個人的フェティシズムがあるわけではないので誤解しないように。
審判をする奴はもちろんいない。
ラインを越えたところでフリースローなどという甘っちょろい段階を踏まず試合は進行していく。あくまでルールを制定していないだけで仁義と紳士協定は結ばれているので流血沙汰まで発展しない。が、互いの思想の衝突ということもあってフィールドは戦場で、ボールを持っているだけで十人に囲まれ、一人に二人が同時にスライディングする状況。作戦もフォーメーションも意味をなさない。白兵戦とはそういうものだ。
下らないことに夢中になれるのは若いうちだけか。嘲笑とともにため息が出る。
まあそんなこんなで両者の軍勢は互角で、2対2のまま試合終了一分前。俺は五人に道を阻まれ立ち往生していた。
「そのボールをよこせ。痛い目に遭いたくなければな」
「さあさあどうだ君も我々に帰りたまえ。人妻でも貧乳ていうのは魅了だ」
「笑止! 年増好きに用はない!」
「年上が好きなのではない、好きになった子が年上だっただけだ! 大人でも胸ぺったんはいるんだぞ!」
「仲間同士でいがみ合うんじゃない。俺たちは貧乳という一つの信念を死守するのだ!」
ディフェンスに配備された俺は、守るべき信念もなく怪我もしたくなかったのでバックに下がって傍観していた。貧乳推奨派に連行された国木田もおそらく同じことをしているんだろうな、と秋の空に浮かぶ雲の高さを仰ぎながら考えていると、視界の左側からボールが飛んできて、思わず出そうとした手を引っ込めて、脚でボールの跳ねるのを抑え、気が付くと五人に完全に進路を立ち塞がれていた。
さて、どうする。大人しく譲ってあげるべきか。
「キョン! 後ろに蹴飛ばせ!」
妙に威勢のいい呼びかけだったので従うことにした。どうせ意味の無い虚しい戦争だ。どうなっても俺は知らん。踵でボールを真後ろに転がす。ロリコン5は俺そっちのけでボールを追いかけていく。
その刹那、グラウンドに影が五つ生まれた。
まるで竜巻で飛ばされたかのようだった。後ろに行ったはずのロリコンどもが俺の頭上を飛び越えて、地面に叩き付けられていた。それでも衝撃は続き、まるで蹴鞠のように肉体が跳ね上がった。
とっさに振り向く。
古泉がボールに右足を乗せて立っていた。
「谷口ぃ‼ そんなに巨乳がいいというのか! 同士よ、奴を叩きのめせ!」
「イーッ!」
敵側キーパーの号令で相手側の数名がポジションそっちのけで走ってくる。それに負けじとこちら側の軍勢も動きセンターラインで衝突する。大の男が肩と肩をぶつけ押し合いへし合いする様はラグビーのようだが、本当のところサッカーのはずである。味方の一人が振り向いて、
「谷口、ここは俺たちが守る! お前がシュートしろ!」
古泉はドリブルし続け前に進む。
先ほど吹っ飛ばしたロリコン5が後ろから追いかける。足払いのようなスライディングを古泉は飛び越える。宙に浮いたボールを奪おうとヘディングをしてくるロリコン二人を難なく避ける。回転が加わっていたボールは地面に着地、大きく方向を変えて跳ね上がり、古泉の足元に戻ってくる。
物理的法則を支配しているような、信じられない軌道。
顔面から激突したロリコン二人が地面に突っ伏す。足に重力を持っているかのごとくボールは古泉の足から離れない。
「突破だぁ─────────‼」
センターラインの衝突でも動きがあった。気迫の違いか根性か、貧乳(推奨)チームが巨乳(推奨)チームの壁を突破し、国木田を除く四人が雄叫びを上げて古泉に向かっていく。しかし古泉の動きに追いつけない。横を通り抜ける古泉にただ呆然としているように見える。実際のところ、奴らは目の前にいたオールバックが視界から消えている錯覚を感じているのかもしれない。
気づいた時には、ゴール前まで進んでいた。
「させるか‼」
そうも簡単にはいかないらしく、一人が古泉に追いついた。古泉の足は決して速いわけではないから当然ではある。細長い手足からは想像もできない素早さでその前に立ち塞がり、一気に距離を詰める。絶え間ない牽制とフェイントで古泉からボールを奪おうとする。さすがに古泉のその動きには苦戦の色を見せ始める。
敵味方全員がボールめがけて走ってくるが明らかに敵のほうが近い。さすがの古泉も九人も相手には出来ない。
ここらで終了か。
ゴールから離れたキーパーは臆することなくボールに飛び込んだ。
だが、触れられなかった。
十何人の敵と味方で周囲を覆い尽くされる直前、古泉は俺にちらっとだけ視線を送り、
獰猛に、笑って、
敵にパスした。
むしろそれはパスと呼ぶよりショットと揶揄すべきであった。敵に衝突したボールは弾かれ、そのまま軌道を変えて俺の足元に落ちる。
ゴールの守りは皆無。敵は必死になって起き上がろうとするが、間に合うはずがないのを俺は直感で悟っていた。
凄惨な人垣の中に視線を投じる。
古泉が親指を立てて笑っている。ハルヒ対策の変装用の笑顔ではなく、本当に馬鹿馬鹿しく、心から試合を楽しんでいる。そんな顔だ。
──俺も馬鹿やってやろうか。
右足を鞭のように振るう。全体重をかけた放たれた一撃は、大気を切り裂くような音を上げて飛ぶ。人に埋もれたキーパーは必死の思いで腕を伸ばすが、超能力に誘われるように軌道は曲線を描く。
ボールはそのままゴールの左斜め上に吸い込まれてゆく。
グラウンドの戦いは、大地を震撼させる馬鹿な男たちの勝鬨で締めくくられた。
試合の後、俺は古泉にあの動きのことを尋ねていた。あの運動オンチの谷口の身体でプロ顔負けの身のこなしができるとは、到底信じきれなかったのだ。
「素早く動いたり、相手を倒すために必要なのは筋肉ではありません。要は肉体をどこまで理解できているかです。相手の一挙一足から重心を見極め、支えとなる箇所に軽く力を加えれば、自らの体重と勢いでひっくり返ってしまう。超能力よりも頼りになりますよ」
腕で薙ぎ払う動作をして、楽しそうに語る古泉──谷口の外見だが──の姿はある意味恐ろしさを感じた。
「しかし、」
腰に手を当てて、首を回して、目を瞑って背伸びをしながら古泉は言う。
「少しやりすぎたでしょうか」
「別にいいだろ。奴らもそれなりに楽しんでいたようだし」
古泉の多大なる活躍のおかげで虚しい言論闘争にも終止符が打たれた。終わってみれば巨乳派も貧乳派も実に謙虚で静かな物腰になり、倒れている者には手を差し伸べるまでになった。もう彼らに勝敗は関係ない。2対3という結果にはなったが、両派閥ともお互いの健闘を讃え合い、固い握手を交わして戦いは本当の終焉を迎えた。教師もいないので、授業時間を多く残しているにも関わらず、そのまま彼らは解散していった。
──押し付けるなどとんでもない。自分自身の好きなものを愛しよう。
それが彼らが最終的に行き着いた結論であった、らしい。
世界情勢もこれくらい簡単に片付けばどれほどの命が救われようか。呆れてため息が出てくる。
逆に考えればこれは数の勝負だったのだろう。
どちらも頭数は十一人だったが思想の面ではどうだ。中立を掲げていたのは貧乳派で国木田一人だったのに対して巨乳派は俺と古泉の二人。一対二ではもう決まっている。戦場では思想やイデオロギーなど粉塵にさえ劣る、冷静を通り越す無関心な奴ほど勝ちやすいらしい。
だが、
「この試合では、いかに楽しめたかが大切だったのでしょうからね」
そう言う意味では、俺は古泉に負けたのだろう。
古泉こそ、この下らなくも純粋な高校生の一時を楽しんでいたのだ。
古泉はほんやりと涼んでいたかと思えば、
「僕は先に戻っておきます。それでは」
校舎へ向かって歩き出した。離れていく姿に、俺は呼びかける。
「古泉」
足を止めたが振り返らない。その背中に向かって、尋ねた。
「楽しめたかーっ?」
やはり振り返らない。歩き出してから右手を上げて、軽く横に振っていた。
その六へ その八へ
午後の体育は戦争だった。
事の発端はクラスメイトの議論だったか。
単純に言うと、巨乳と貧乳はどちらが優れているかという議題だった。
──胸とはすなわち女性らしさを表すメタかつグローバルなシンボルである。すなわち、胸が大きいことは女性としても優れているのだ。
──異議あり。ジェンダー的発想からしてもそれは女性差別と読み取れる表現である。胸が無ければ女性でないのか。断じて否。その主張は受け入れること自体が冗談も甚だしい。そもそも人間は元から胸があったわけではない。生まれたままの、純粋無垢な少女らしさを尊重する点においても胸が小さいことは正義である。
──正義という言葉をやすやすと使ってはならない。少女らしさを求めるといっては性癖に異常が見られると思われる。たわわな果実と洗濯板どっちを取るつもりだロリコン野郎。
──日本国憲法においてはいかなる信条を持とうと好き勝手だと明文されている。男が変態で何が悪い。ロリコン上等。我らの幼きを愛でる魂を知らぬ凡俗には鉄槌を下してやる。
──どちらが本当の凡俗か教えてやる。マシュマロのような柔らかさにたゆんと揺れるその美しさ。夏の海のビキニ姿で見られる至福の楽園を自ら否定するなど古の民の考えを真っ向から逆らうお前等を神に代わって成敗してくれる。同士よ立ち上がれ、敵はそこにあり。
──黙れ変態、貴様に我らの気持ちがわかるか、お前等は本当に巨乳を揉んだことがあるというのか。少女へのいたわりを忘れた人間め。発育途中だからこそ、成長していく過程があるからこそ最高なのだと。冬の雪降るプラットフォームでコートを羽織って佇む少女の愛おしいことよ。それが解せないというのなら、よろしい、ならば戦争だ。
思想の違いが戦争を起こし、時代の流れが戦争を変える。その中では人の死は統計上の数字でしか意味を持たない。
そんなわけで男子生徒全員が互いににらみ合う二大勢力がなし崩しにできあがった。体育教師が休みでフリータイムとなっていたことも戦場を構築する好機の一つとなり、どういうわけかスポーツマンシップと手軽さに乗っ取ってサッカーで決着することになった。
俺はどちらかというと大きさが問題ではなく、バランスが合っているかが重要だと思うが、厳格に二極化された中で第三勢力を立ち上げても踏みつぶされるのがオチであることは、重々良く知り得たつもりだったので、人数が揃うように巨乳推奨派に加わることにした。特に個人的フェティシズムがあるわけではないので誤解しないように。
審判をする奴はもちろんいない。
ラインを越えたところでフリースローなどという甘っちょろい段階を踏まず試合は進行していく。あくまでルールを制定していないだけで仁義と紳士協定は結ばれているので流血沙汰まで発展しない。が、互いの思想の衝突ということもあってフィールドは戦場で、ボールを持っているだけで十人に囲まれ、一人に二人が同時にスライディングする状況。作戦もフォーメーションも意味をなさない。白兵戦とはそういうものだ。
下らないことに夢中になれるのは若いうちだけか。嘲笑とともにため息が出る。
まあそんなこんなで両者の軍勢は互角で、2対2のまま試合終了一分前。俺は五人に道を阻まれ立ち往生していた。
「そのボールをよこせ。痛い目に遭いたくなければな」
「さあさあどうだ君も我々に帰りたまえ。人妻でも貧乳ていうのは魅了だ」
「笑止! 年増好きに用はない!」
「年上が好きなのではない、好きになった子が年上だっただけだ! 大人でも胸ぺったんはいるんだぞ!」
「仲間同士でいがみ合うんじゃない。俺たちは貧乳という一つの信念を死守するのだ!」
ディフェンスに配備された俺は、守るべき信念もなく怪我もしたくなかったのでバックに下がって傍観していた。貧乳推奨派に連行された国木田もおそらく同じことをしているんだろうな、と秋の空に浮かぶ雲の高さを仰ぎながら考えていると、視界の左側からボールが飛んできて、思わず出そうとした手を引っ込めて、脚でボールの跳ねるのを抑え、気が付くと五人に完全に進路を立ち塞がれていた。
さて、どうする。大人しく譲ってあげるべきか。
「キョン! 後ろに蹴飛ばせ!」
妙に威勢のいい呼びかけだったので従うことにした。どうせ意味の無い虚しい戦争だ。どうなっても俺は知らん。踵でボールを真後ろに転がす。ロリコン5は俺そっちのけでボールを追いかけていく。
その刹那、グラウンドに影が五つ生まれた。
まるで竜巻で飛ばされたかのようだった。後ろに行ったはずのロリコンどもが俺の頭上を飛び越えて、地面に叩き付けられていた。それでも衝撃は続き、まるで蹴鞠のように肉体が跳ね上がった。
とっさに振り向く。
古泉がボールに右足を乗せて立っていた。
「谷口ぃ‼ そんなに巨乳がいいというのか! 同士よ、奴を叩きのめせ!」
「イーッ!」
敵側キーパーの号令で相手側の数名がポジションそっちのけで走ってくる。それに負けじとこちら側の軍勢も動きセンターラインで衝突する。大の男が肩と肩をぶつけ押し合いへし合いする様はラグビーのようだが、本当のところサッカーのはずである。味方の一人が振り向いて、
「谷口、ここは俺たちが守る! お前がシュートしろ!」
古泉はドリブルし続け前に進む。
先ほど吹っ飛ばしたロリコン5が後ろから追いかける。足払いのようなスライディングを古泉は飛び越える。宙に浮いたボールを奪おうとヘディングをしてくるロリコン二人を難なく避ける。回転が加わっていたボールは地面に着地、大きく方向を変えて跳ね上がり、古泉の足元に戻ってくる。
物理的法則を支配しているような、信じられない軌道。
顔面から激突したロリコン二人が地面に突っ伏す。足に重力を持っているかのごとくボールは古泉の足から離れない。
「突破だぁ─────────‼」
センターラインの衝突でも動きがあった。気迫の違いか根性か、貧乳(推奨)チームが巨乳(推奨)チームの壁を突破し、国木田を除く四人が雄叫びを上げて古泉に向かっていく。しかし古泉の動きに追いつけない。横を通り抜ける古泉にただ呆然としているように見える。実際のところ、奴らは目の前にいたオールバックが視界から消えている錯覚を感じているのかもしれない。
気づいた時には、ゴール前まで進んでいた。
「させるか‼」
そうも簡単にはいかないらしく、一人が古泉に追いついた。古泉の足は決して速いわけではないから当然ではある。細長い手足からは想像もできない素早さでその前に立ち塞がり、一気に距離を詰める。絶え間ない牽制とフェイントで古泉からボールを奪おうとする。さすがに古泉のその動きには苦戦の色を見せ始める。
敵味方全員がボールめがけて走ってくるが明らかに敵のほうが近い。さすがの古泉も九人も相手には出来ない。
ここらで終了か。
ゴールから離れたキーパーは臆することなくボールに飛び込んだ。
だが、触れられなかった。
十何人の敵と味方で周囲を覆い尽くされる直前、古泉は俺にちらっとだけ視線を送り、
獰猛に、笑って、
敵にパスした。
むしろそれはパスと呼ぶよりショットと揶揄すべきであった。敵に衝突したボールは弾かれ、そのまま軌道を変えて俺の足元に落ちる。
ゴールの守りは皆無。敵は必死になって起き上がろうとするが、間に合うはずがないのを俺は直感で悟っていた。
凄惨な人垣の中に視線を投じる。
古泉が親指を立てて笑っている。ハルヒ対策の変装用の笑顔ではなく、本当に馬鹿馬鹿しく、心から試合を楽しんでいる。そんな顔だ。
──俺も馬鹿やってやろうか。
右足を鞭のように振るう。全体重をかけた放たれた一撃は、大気を切り裂くような音を上げて飛ぶ。人に埋もれたキーパーは必死の思いで腕を伸ばすが、超能力に誘われるように軌道は曲線を描く。
ボールはそのままゴールの左斜め上に吸い込まれてゆく。
グラウンドの戦いは、大地を震撼させる馬鹿な男たちの勝鬨で締めくくられた。
試合の後、俺は古泉にあの動きのことを尋ねていた。あの運動オンチの谷口の身体でプロ顔負けの身のこなしができるとは、到底信じきれなかったのだ。
「素早く動いたり、相手を倒すために必要なのは筋肉ではありません。要は肉体をどこまで理解できているかです。相手の一挙一足から重心を見極め、支えとなる箇所に軽く力を加えれば、自らの体重と勢いでひっくり返ってしまう。超能力よりも頼りになりますよ」
腕で薙ぎ払う動作をして、楽しそうに語る古泉──谷口の外見だが──の姿はある意味恐ろしさを感じた。
「しかし、」
腰に手を当てて、首を回して、目を瞑って背伸びをしながら古泉は言う。
「少しやりすぎたでしょうか」
「別にいいだろ。奴らもそれなりに楽しんでいたようだし」
古泉の多大なる活躍のおかげで虚しい言論闘争にも終止符が打たれた。終わってみれば巨乳派も貧乳派も実に謙虚で静かな物腰になり、倒れている者には手を差し伸べるまでになった。もう彼らに勝敗は関係ない。2対3という結果にはなったが、両派閥ともお互いの健闘を讃え合い、固い握手を交わして戦いは本当の終焉を迎えた。教師もいないので、授業時間を多く残しているにも関わらず、そのまま彼らは解散していった。
──押し付けるなどとんでもない。自分自身の好きなものを愛しよう。
それが彼らが最終的に行き着いた結論であった、らしい。
世界情勢もこれくらい簡単に片付けばどれほどの命が救われようか。呆れてため息が出てくる。
逆に考えればこれは数の勝負だったのだろう。
どちらも頭数は十一人だったが思想の面ではどうだ。中立を掲げていたのは貧乳派で国木田一人だったのに対して巨乳派は俺と古泉の二人。一対二ではもう決まっている。戦場では思想やイデオロギーなど粉塵にさえ劣る、冷静を通り越す無関心な奴ほど勝ちやすいらしい。
だが、
「この試合では、いかに楽しめたかが大切だったのでしょうからね」
そう言う意味では、俺は古泉に負けたのだろう。
古泉こそ、この下らなくも純粋な高校生の一時を楽しんでいたのだ。
古泉はほんやりと涼んでいたかと思えば、
「僕は先に戻っておきます。それでは」
校舎へ向かって歩き出した。離れていく姿に、俺は呼びかける。
「古泉」
足を止めたが振り返らない。その背中に向かって、尋ねた。
「楽しめたかーっ?」
やはり振り返らない。歩き出してから右手を上げて、軽く横に振っていた。
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