涼宮ハルヒの変装 その九



     *


 放課後である。
 朝比奈さんと古泉を連れて部室へ向かい、部室で待機していた長門と暇を弄んでいた妹と合流すべく部室のドアを開く。
 妹もいて、長門も定位置のパイプ椅子にちんまりと座っている。
 そしてなぜか鶴屋さんとハルヒが先にテーブル越しに座っていた。俺に気づいた鶴屋さんはこちらに微笑んで手を振っている。しかしハルヒはこちらに背を向け、長い髪の向こう側で紙袋をガサゴソとあさっているのがわかった。そして口を開き、
「谷口は?」
 後ろを向かなくてもわかるんだな。
「電話で呼ばれて去っていったよ」
 授業が終わった瞬間、谷口は両手を上げて喜んだのも束の間、自分の着信の電子音に驚き、すぐさま小型の携帯電話を取り出し耳に当てたと思ったら、鞄を背負ってすぐに教室から出て行った──それが柊の証言による谷口の最後の姿である。
 あっそ。の一言でハルヒは切り捨てる。
「ところで、正門で待ち合わせじゃなかったっけ?」
 朝にはそう話したつもりだったんだがな。
 こちらに振り返ることもなく、ハルヒは答える。
「ちょっと取りにくるものがあったから」
 そう言ったきり黙ってしまう。
「どお、みくる? みんなにバレないようにハルにゃん演じきれたかなっ?」
「あ、はい。一応大丈夫だと」
「こっちのクラスは大変だったよっ。ハルにゃんが先生たちにズバズバ授業の欠陥を指摘しまくって! 面白くってあたしも加勢しちゃった」
「そ、それはちょっと困ります」
「だいじょーぶだって! 誰も気にしないはずだよっ!」
 こちらの二人にも特に問題は無いようである。ハルヒの椅子に座っている妹に呼びかける。
「どうだ? 一日限りの高校生生活は?」
 『長門』のふてくされた顔などイリオモテヤマネコ二十匹同時に出会うよりも珍しいかもしれない。もう二度と見れまい表情だ。妹はその口をアヒルのように尖らせて、
「すっごく暇だったー」
 長門の声で言うから違和感がありすぎるのだがわからなくもない。ずっとこの狭い部屋に閉じ込められていたのだ。いくらハルヒのパソコンがあるとは言っても暇のこの上ないはずだ。
「早くお家に帰りたいなー」
 いや、そう言われても厄介なことになっているのをお忘れのないように。今お前は長門になっているんだ。できるはずが、
「できる」
 心を読まれたと思うほどタイミングがぴったりだった。
 長門は、妹ならば絶対に手に取らないだろう原文そのままの洋書を閉じて立ち上がる。ヘアゴムで結わえたショートテールを揺らし爪先立ちで本棚にしまおうとした。あまりに危なっかしいので俺が代わりに収める。ありがとうと長門は呟く。次の本でも取ってやろうとしたが、別段続きに興味があるわけでもないようで、俺たちに向かって、
「どうしても、というのなら」
 妹に視線だけで返事を求めてみる。長門なら絶対にしそうにない戸惑いの色を顔に出し、少し悩んだのち、コクッと小さく首を縦に振る。
 どうやらお願いしたいらしい。
「わかった」
 長門はそう言って了承するのだが俺にはわからない。
「一体何をするんだ?」
 長門は妹を見上げ、無言で招くように手首を動かす。妹は素直に従い、かがみ込み、長門と耳打ちするほどに頭を近づける。
 小さな妹の世話を見るお姉さんのようにも見えるのだが、この二人は中身が入れ替わってるんだな。そう思った瞬間。
 長門が妹にボソッと何かを呟く。途端に妹の目つきが眠たそうに半開きになった。
「妹ちゃん? どうしたのかな?」
 俺たちの方を見ていた鶴屋さんが席を立って近づき、妹の目の前で手を左右に振る。しかし妹の目はどこにも焦点が合っておらず虚空を見ている案配である。
「彼女は疲れたらしい。だからわたしが先に送ってくる」
 淡白な口調に押されたのかあまり気にしていないのか、鶴屋さんは一歩後ろに下がって道を開ける。部室のドアに千鳥足で向かう妹の様子に兄の立場として気になって仕方が無い。ところが声をかけようとすると、長門に手で制された。
「わたしの身体にスタンドアローンプログラムを植え付けた。彼女の意識は半覚醒状態」
「──眠っているのか?」
「あなたたちの感覚的に言えば催眠術のようなもの。彼女はそのまま私の部屋に帰って、自分で食事を作って入浴して眠る。わたしの身体だったから容易だった」
 つまり、長門は俺の妹の意識だけ眠らせ、自分自身の肉体だけを操り部屋に送る、ということだろう。
 もう言葉もないね。
「不測の事態に備えてわたしも彼女についてゆく。その後あなたの家に戻って帰りを待っている」
 長門の後ろに続き俺も廊下に出る。夢遊病のごとく足を揺らして歩く妹を、長門が短い歩幅で追いかけてゆく。鶴屋さんや朝比奈さんも部屋から顔をひょっこり出して長門の後ろ姿を見ている。ポケットの中に入れていた自宅の鍵に気づき、
「長門、鍵はいいのか?」
「大丈夫。自分で開ける」
 情報操作で解錠する、ってところか。長門にかかればラスベガスの金庫破りも朝飯前だろう。うちのシリンダーキーは木綿越し豆腐に等しいかもな。
 長門はふと立ち止まり、振り向く。無表情な妹の顔ほど似合わないものはない。
「彼女はあなたに任せる。粗相の無いように留意して」
 妹の姿で真面目なことを言われると説得力がなくなるのだな。
 だが納得はできる。
 彼女というのは涼宮ハルヒのことだろう。
「わかってる。妹を頼んだぞ」
 小さく頷いた後、長門と妹は階段の方へと足を進めていき、曲がったあたりで姿が見えなくなった。
「有希と妹ちゃん、帰っちゃったのね」
 ドアに寄り添って、影から覗いていたハルヒがため息混じりにこぼす。
「──イメージぴったりだったのに」
「一体何のイメージだ」
 ハルヒは答えるはずもない。表情の陰りを一瞬で払いのけ、部室に戻って椅子の上に置いてある紙袋を手に持ってくる。さっさと廊下に出て、俺たちに向かってこんなことを言い出したのだ。
「では、有希と妹ちゃんは帰っちゃったけど」
 予測はできた。
 誰もが考えはするが、あまりにも馬鹿馬鹿しくてやらない。そんなことを本当に行動に移すのが涼宮ハルヒの恐ろしいところである。
 絶対に何かしでかす。こんな絶好の行事があるのにハルヒが放っとくわけがあるはずがない。
 待ってましたと言わんばかりの表情をする鶴屋さんも、鞄を手に持っている古泉も、朝比奈さんも、そして俺自身も。
 どこかで、納得していたのかもしれない。

「これから、本日のSOS団の活動を開始します‼」


 その八へ その十へ