涼宮ハルヒの変装 その六
*
四時間目の終わりを告げる鐘は食欲と疲労を癒す時間の始まりを伝える啓次でもあり、要は空きっ腹が鳴き始める頃にもっとも待ちこがれる昼食の時間になったのだ。
ベーコンエッグごときで成長期の肉体に宿る食欲を押さえられるはずがない。手に小銭を握りしめ、購買部の荒波を越えて昼食の焼きそばパンとチャーハンを掴み取った後、いつものように教室で国木田と机を囲んで朝食の雑談をすることにした。
ここが勝負の分かれ目だ。
別にばれても問題はないはずだが、説明がややこしくなる。これ以上俺たちの非日常に巻き込まれる被害者を増やしてはならない。
なるべく普通そうな会話といえば──。
「夢?」
国木田は弁当の卵焼きを摘みながら改めて聞き返す。
「そう、別に進路とか将来とか関係ない。ただ漠然とした未来とかってあるかってな」
国木田は顎に手を当て一秒だけ沈黙して、
「まだ決まってないかな。今は少し工学部の大学に行こうかなって考えてるけど、この先何十年の人生を決めるなんてできないよ」
耳が痛い。俺なんて一年先の事さえもろくに決断できなんだ。勉強できれば選択肢も増えるのだろうが目標がないから勉強する気が起きない悪循環。
「んで、谷口はどうなの?」
国木田は古泉に話を振ってきた。
「実は俺、K大の法学部に行きたいと思ってるわけ」
空いた口が塞がらない。
K大といえば国立の有名どころを指折りしていけば三番目に入る最高レベルの大学である。古泉なら言いそうもない自己主張だが、谷口なら冗談半分に言い兼ねないセリフだったからだ。
しかし純粋無垢で疑うことを知らない国木田は素直に驚いていた。
「それはすごいよ! でもどうしてK大なの? 他にも大学はあるのに」
古泉は笑う。いつもの笑いではなく、宝くじに誇大妄想を抱く一般人のような。
「ここから一番近い距離にあるからだ。学費とか住む場所の心配もあるからな。それに地元に近いほうが何かと便利そうに思うぜ」
レベルとか学ぶ内容ではなく、学校の名前で進学先を決める。法学部を選んだのも結局名前だろう。それでいて生来の小心さで東京など離れた土地ではなく地元を選ぶ。
まさに谷口が考えそうな、無謀かつ小物すぎる発想。
人差し指をピンと立てて古泉は続ける。
「しかも都会なら美人がいる! これは必須だろ! なあキョン!」
谷口の最大の特徴である軟派まで演出してきやがった。御丁寧にも俺に話を持ちかけてくる。まだ策があるのかもしれないと思うと気が気で無い。どこまでやるんだ古泉は。
ここはいつも通りに、谷口を相手にしているようにに答えるのが適当か。
「無謀だな。必ずしも名門大学に美人が通っているってわけでもないし、ましてやお前の学力じゃセンターさえ危ういだろ? もっと模試のデータに面と向かって吟味しろ。そうしたほうが今後のためだ」
「──キョンよぉ、結構ひでぇこと言うなあ」
お前の方がひどいと思うぞ。だが口には出さない。
「でも今日の谷口って変わってるよね。どこか知的になったというか、雰囲気が違うというか」
国木田よ。お前はいつから名探偵になったんだ。もしくはお前も国木田ではない別の誰かなのか。言ってほしくはない、今の俺なら簡単に信じてしまうからな。
「んな馬鹿なことあるわけないって。俺はいつもの俺だ」
至極当たり前に、古泉は反論する。
それにしても古泉の口調は演技の領域ではない。ふと気づくと俺自身も谷口だと思い込んで話しかけてしまう。
思い当たらない件もないわけではない。癖のような笑顔に丁寧な口調。古泉は普段から涼宮ハルヒにずっと芝居し続けているようなものだ。
慣れている。
古泉に言わせれば職業病と言うかもしれない。笑顔という頭巾を被って関係が険悪にならぬよう裏方でフォローし続ける黒子のような役割を、古泉は二十四時間無期限で担っていた。こんな演技も容易いのかもしれない。
大した奴だよ。給料があるのかどうかわからんが、世界の運命に関わる仕事を続けるなんて普通の奴ならできないだろう。
「そう言えば谷口、あのCD聴いた?」
俺が関心していると、国木田が古泉に向かって問い掛けてきた。
「CD? ──ああ、あれか。すまん、もう少し待ってくれ!」
手を合わせて懇願するあたり、谷口の動作そのものだ。国木田は古泉の大袈裟な動作に呆気にとられつつも、
「別にいいよ。急いでいるわけじゃないから」
そんな会話を端から見てると、誰かに背後から肩をぽんと叩かれた。
「あんたがキョン?」
椅子越しに後ろを振り向く。そこにいたのはツインテールを黒のリボンでまとめた髪型が特徴的な女の子。
えっと、誰だっけ。確か神社の双子の姉だったよな。
「柊よ。それより、あんたと、そこのオールバックに会いたいって奴がいるけど」
俺と古泉は一瞬だけ視線を交わす。もしかすると誰かトラブルでもあったのか。国木田に断りを入れて席を立つ。柊に言われるまでもなくそいつが誰か想像はついていたが、まったくその通りだった。
柊が廊下で指差した先に憔悴しきった谷口が突っ立っている。
「おーい生きてるかー?」
返事がない。ただの屍のようだ。
「──もう駄目だ」
視線の定まらない虚ろで濁った瞳でか細い声を絞り出す。あの古泉の顔も過労の前では見る影も無い。しわくちゃになった福沢諭吉のような印象を覚える。
「谷口か。どうかしたのか?」
「キョ────────────ン‼」
谷口は古泉の顔を指しながら片手で俺の胸ぐらにつかみかかる。周囲の生徒がざわつくがそんなことは関係無しに捲し立てる。
「こいつが特進クラスだって話し聞いてねぇぞ! おかげで精神的にくたばってしまうところだったぞ、俺が優等生だったなら先に教えとけ!」
「教える前にナンパに行ったのはどこのどいつだ」
谷口は俺の胸ぐらから手を離す。
「くそぉ、女は一度は寄ってきても結局離れていくし、一人もモノにできなかったし。踏んだり蹴ったりだ!」
だろうよ。外見と中身に似つかない男は女に縁がないと聞く。谷口もまたしかり。がっくりと頭を垂れて苦悩している様子は古泉の外見だからまだ見られる。
「神様、俺が悪かったです。いきなりイケメンになろうと願った俺が間違ってました。せめてもう少しだけ女の子にもてたかったんです。どうか許してください、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
おめでたふハルヒ、貴女谷口より神と認定されたし。思えば奇妙なもんだ。以前中庭で古泉がハルヒを神と例え、今度は古泉になった谷口が神を信仰するとは。
「イケメンでもさすがに『俺の汗を拭いてくれないか』っていう誘い文句じゃ駄目か……」
正直に言おう。その文句だと変態間違いなしだぞ。
「だから、俺はこの際正直になる!」
何と驚くべきことか、谷口は柊の手を取る。柊自身も急な展開に頬を赤らめてどぎまぎしている。谷口がここまでアクティブになったことが嘗てあったか。
「お嬢さん、僕と付き合ってくれませんか!」
至ってシンプルな告白文句。
だが、柊は谷口を一瞥してひと言。
「嫌よ、あんたみたいなモブ役っぽい軟弱な男」
柊は踵を返しさっさと教室に帰ってゆく。袖にされた谷口はもはや魂の抜け殻と呼ぶにふさわしいほど意気消沈している。お前の勝負弱さ、しかと見届けた。
「──えっとな、国木田を待たせているから戻っていいか?」
谷口は床に膝と手のひらを付け、蚊の鳴くような声で「勝手にしろ」と呟く。古泉にも促すのだが、
「先に戻っていてください。 少し彼と相談したいことがありまして」
ということで、うなだれている谷口と古泉を残して一足先に国木田の待つ教室へ帰還していた。何を相談するのやらね。
しかし、これだけでも随分疲れた。後のことを思うと気が重くなる。
「ところでキョン」
国木田からの呼びかけに、ペットボトルの緑茶に口を付けながら相槌を打つ。
「僕が谷口からCDを借りていたんだけど、何を勘違いしていたのかな」
喉がむせたのは言うまでもあるまい。
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四時間目の終わりを告げる鐘は食欲と疲労を癒す時間の始まりを伝える啓次でもあり、要は空きっ腹が鳴き始める頃にもっとも待ちこがれる昼食の時間になったのだ。
ベーコンエッグごときで成長期の肉体に宿る食欲を押さえられるはずがない。手に小銭を握りしめ、購買部の荒波を越えて昼食の焼きそばパンとチャーハンを掴み取った後、いつものように教室で国木田と机を囲んで朝食の雑談をすることにした。
ここが勝負の分かれ目だ。
別にばれても問題はないはずだが、説明がややこしくなる。これ以上俺たちの非日常に巻き込まれる被害者を増やしてはならない。
なるべく普通そうな会話といえば──。
「夢?」
国木田は弁当の卵焼きを摘みながら改めて聞き返す。
「そう、別に進路とか将来とか関係ない。ただ漠然とした未来とかってあるかってな」
国木田は顎に手を当て一秒だけ沈黙して、
「まだ決まってないかな。今は少し工学部の大学に行こうかなって考えてるけど、この先何十年の人生を決めるなんてできないよ」
耳が痛い。俺なんて一年先の事さえもろくに決断できなんだ。勉強できれば選択肢も増えるのだろうが目標がないから勉強する気が起きない悪循環。
「んで、谷口はどうなの?」
国木田は古泉に話を振ってきた。
「実は俺、K大の法学部に行きたいと思ってるわけ」
空いた口が塞がらない。
K大といえば国立の有名どころを指折りしていけば三番目に入る最高レベルの大学である。古泉なら言いそうもない自己主張だが、谷口なら冗談半分に言い兼ねないセリフだったからだ。
しかし純粋無垢で疑うことを知らない国木田は素直に驚いていた。
「それはすごいよ! でもどうしてK大なの? 他にも大学はあるのに」
古泉は笑う。いつもの笑いではなく、宝くじに誇大妄想を抱く一般人のような。
「ここから一番近い距離にあるからだ。学費とか住む場所の心配もあるからな。それに地元に近いほうが何かと便利そうに思うぜ」
レベルとか学ぶ内容ではなく、学校の名前で進学先を決める。法学部を選んだのも結局名前だろう。それでいて生来の小心さで東京など離れた土地ではなく地元を選ぶ。
まさに谷口が考えそうな、無謀かつ小物すぎる発想。
人差し指をピンと立てて古泉は続ける。
「しかも都会なら美人がいる! これは必須だろ! なあキョン!」
谷口の最大の特徴である軟派まで演出してきやがった。御丁寧にも俺に話を持ちかけてくる。まだ策があるのかもしれないと思うと気が気で無い。どこまでやるんだ古泉は。
ここはいつも通りに、谷口を相手にしているようにに答えるのが適当か。
「無謀だな。必ずしも名門大学に美人が通っているってわけでもないし、ましてやお前の学力じゃセンターさえ危ういだろ? もっと模試のデータに面と向かって吟味しろ。そうしたほうが今後のためだ」
「──キョンよぉ、結構ひでぇこと言うなあ」
お前の方がひどいと思うぞ。だが口には出さない。
「でも今日の谷口って変わってるよね。どこか知的になったというか、雰囲気が違うというか」
国木田よ。お前はいつから名探偵になったんだ。もしくはお前も国木田ではない別の誰かなのか。言ってほしくはない、今の俺なら簡単に信じてしまうからな。
「んな馬鹿なことあるわけないって。俺はいつもの俺だ」
至極当たり前に、古泉は反論する。
それにしても古泉の口調は演技の領域ではない。ふと気づくと俺自身も谷口だと思い込んで話しかけてしまう。
思い当たらない件もないわけではない。癖のような笑顔に丁寧な口調。古泉は普段から涼宮ハルヒにずっと芝居し続けているようなものだ。
慣れている。
古泉に言わせれば職業病と言うかもしれない。笑顔という頭巾を被って関係が険悪にならぬよう裏方でフォローし続ける黒子のような役割を、古泉は二十四時間無期限で担っていた。こんな演技も容易いのかもしれない。
大した奴だよ。給料があるのかどうかわからんが、世界の運命に関わる仕事を続けるなんて普通の奴ならできないだろう。
「そう言えば谷口、あのCD聴いた?」
俺が関心していると、国木田が古泉に向かって問い掛けてきた。
「CD? ──ああ、あれか。すまん、もう少し待ってくれ!」
手を合わせて懇願するあたり、谷口の動作そのものだ。国木田は古泉の大袈裟な動作に呆気にとられつつも、
「別にいいよ。急いでいるわけじゃないから」
そんな会話を端から見てると、誰かに背後から肩をぽんと叩かれた。
「あんたがキョン?」
椅子越しに後ろを振り向く。そこにいたのはツインテールを黒のリボンでまとめた髪型が特徴的な女の子。
えっと、誰だっけ。確か神社の双子の姉だったよな。
「柊よ。それより、あんたと、そこのオールバックに会いたいって奴がいるけど」
俺と古泉は一瞬だけ視線を交わす。もしかすると誰かトラブルでもあったのか。国木田に断りを入れて席を立つ。柊に言われるまでもなくそいつが誰か想像はついていたが、まったくその通りだった。
柊が廊下で指差した先に憔悴しきった谷口が突っ立っている。
「おーい生きてるかー?」
返事がない。ただの屍のようだ。
「──もう駄目だ」
視線の定まらない虚ろで濁った瞳でか細い声を絞り出す。あの古泉の顔も過労の前では見る影も無い。しわくちゃになった福沢諭吉のような印象を覚える。
「谷口か。どうかしたのか?」
「キョ────────────ン‼」
谷口は古泉の顔を指しながら片手で俺の胸ぐらにつかみかかる。周囲の生徒がざわつくがそんなことは関係無しに捲し立てる。
「こいつが特進クラスだって話し聞いてねぇぞ! おかげで精神的にくたばってしまうところだったぞ、俺が優等生だったなら先に教えとけ!」
「教える前にナンパに行ったのはどこのどいつだ」
谷口は俺の胸ぐらから手を離す。
「くそぉ、女は一度は寄ってきても結局離れていくし、一人もモノにできなかったし。踏んだり蹴ったりだ!」
だろうよ。外見と中身に似つかない男は女に縁がないと聞く。谷口もまたしかり。がっくりと頭を垂れて苦悩している様子は古泉の外見だからまだ見られる。
「神様、俺が悪かったです。いきなりイケメンになろうと願った俺が間違ってました。せめてもう少しだけ女の子にもてたかったんです。どうか許してください、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
おめでたふハルヒ、貴女谷口より神と認定されたし。思えば奇妙なもんだ。以前中庭で古泉がハルヒを神と例え、今度は古泉になった谷口が神を信仰するとは。
「イケメンでもさすがに『俺の汗を拭いてくれないか』っていう誘い文句じゃ駄目か……」
正直に言おう。その文句だと変態間違いなしだぞ。
「だから、俺はこの際正直になる!」
何と驚くべきことか、谷口は柊の手を取る。柊自身も急な展開に頬を赤らめてどぎまぎしている。谷口がここまでアクティブになったことが嘗てあったか。
「お嬢さん、僕と付き合ってくれませんか!」
至ってシンプルな告白文句。
だが、柊は谷口を一瞥してひと言。
「嫌よ、あんたみたいなモブ役っぽい軟弱な男」
柊は踵を返しさっさと教室に帰ってゆく。袖にされた谷口はもはや魂の抜け殻と呼ぶにふさわしいほど意気消沈している。お前の勝負弱さ、しかと見届けた。
「──えっとな、国木田を待たせているから戻っていいか?」
谷口は床に膝と手のひらを付け、蚊の鳴くような声で「勝手にしろ」と呟く。古泉にも促すのだが、
「先に戻っていてください。 少し彼と相談したいことがありまして」
ということで、うなだれている谷口と古泉を残して一足先に国木田の待つ教室へ帰還していた。何を相談するのやらね。
しかし、これだけでも随分疲れた。後のことを思うと気が重くなる。
「ところでキョン」
国木田からの呼びかけに、ペットボトルの緑茶に口を付けながら相槌を打つ。
「僕が谷口からCDを借りていたんだけど、何を勘違いしていたのかな」
喉がむせたのは言うまでもあるまい。
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