涼宮ハルヒの変装 その十



     *


 靴を履き替えて外に出る。俺と同じ玄関から出てきた朝比奈さん以外の全員がすでに揃っている。
 学校全体が日常とはまったく違う色に染まりつつあった。
 電気式の小さなカンテラが至る箇所にぶら下げられていたり、出来の悪い新興宗教のようにカボチャの中をくりぬいたオブジェが辺りに並べられている。珍妙な格好をした化け物たちが校内を歩き回っている様子を見れば言わずとも理解できるが、
 あえてハルヒに尋ねてみた。
「んで、俺たちは一体何をするんだ」
「見てわからないの?」
 少しだけ色の変わった空に、茜の雲がまばらに浮かんでいる。ハルヒは手をいっぱいに伸ばして、くるりと一回りしてアピールする。
「この後学校でハロウィンパーティやるらしいから、みんなでぱーっと盛り上がりましょ!」
 ハロウィンパーティ。
 ハルヒに聞くところによると、今日の放課後うちの学校の総力を決して有志合同にハロウィンパーティを開催するらしい。
 らしいとつけたのは、そんな話を耳にしたことが一切ないからである。
「あたしも今日まで知らなかったわよ。でもほら、見てよこのビラ。昼休みに配られてたの」
 ハルヒが差し出してきた三つ折りのチラシを広げる。一色印刷の藁半紙には確かにハロウィンパーティのお知らせであり、開催場所がうちの学校であることが記されている。ハルヒに言わせればサプライズの企画とも思わしいようだが俺にはわかる。ハルヒの世界改変にかかれば、こんな文化祭レベルの企画も準備も一日で済んでしまうか。朝には建設途中だったテントやプレハブやらが完璧に用意されている。
 ハルヒ様様だな。
「んで、あたしたちも参加しないわけにはいかないから! これからが本番よ! みんな準備はできてるでしょ!」
 断定。
 その元気はどこに蓄えられているのだろうね。外見が変わってもハルヒはハルヒで変わりなく、その傍若無人さに陰りが生じることもあり得なかった。
 が、

「すみません、僕はここいらで退場したいのですが」

 古泉が申し訳なさそうに目を伏せがちに言う。
「どうして?」
「慣れない身体で無茶をしてしまったようです。肩や脚など少々疲れてきましたので、暇を頂けると大変嬉しいのですが」
 ハルヒはふーんと鼻を鳴らす。数秒ほど考えたあとににんまりと笑って、
「そういう理由だったらいいわよ。団長命令、しっかり養生してきなさい!」
「恐縮のかぎりです」
 それではこれで、と丁寧な会釈をして古泉は歩き出す。俺の横に来ると立ち止まり、ハルヒに見えないように顔を近づけ口に手を添えて囁く。
「申し訳ありません。本当は大丈夫なのですが、少しばかり休暇を頂きたくて」
 つまり仮病か。
「筋肉痛というのは一日後にやってくるものですから」
 しかしどうして。
「あなたの友人との会話で話題になっていた音楽のことが気になりましてね。この機会に彼の家で聞いてみようかと」
 CDぐらい簡単に手に入るだろう。
「機関の仕事は実に大変でしてね。CDを手に入れてもゆったりとくつろいで聞く時間まではなかったりするんです」
 仕事をずる休みか。
「今日の僕は本当の意味で一介の高校生ですからね。ぜひあなたにも大目に見てもらえれば嬉しいかと」
 ならば特別手当を要求する。SOS団ではたぶんそんなルールでも適応するだろう。毎回おごらされる俺のみにもなってみろ。
「いいですよ。彼女にはご内密に」
 耳を疑った。
 古泉は黒革の財布から指の切れそうな一万円を取り出し、俺の手に押し付けた。皺一つない紙幣の手触りに違和感を覚える暇もなく、古泉は続ける。
「皆さんにお茶でもおごってください」
 おい、さっきのは冗談だぞ。こんなもの受け取れるか。
「いえ違います。これは僕の冗談に付き合ってくれたあなたへの感謝の気持ちです」
 言葉が喉に引っかかる。
「彼は国木田氏からCDを借りたのではなく、国木田氏にCDを貸していたことは既知しています」
 ──なるほどな。
「しかしあなたは僕の嘘をばらすこともなく、むしろ取り繕ってくれました」
 茶にむせただけだ。
「それで思ったんですよ。生半可な嘘は白日の下に晒される運命にある、だったら僕自身のやりたいことを行って、自由になろうではないかとね」
 相変わらずの微笑のまま続ける。
「長門さんが先に帰ってしまったのは誤算でした。この場合でしたら僕があなたたちと付き添うのが本来の役目ですが、」
 急に古泉の顔から微笑が失われた。
「残念ながら現在は一介の高校生の身です。例え何かが起きたとしても僕にはどうすることできません」
 これほど真面目な谷口の顔を見たことはかつてなかった。
「もはや、僕たちはあなたに頼るしか手段が残されていません」
 僕たちの中にはきっと長門が含まれているのだろう。
 それでは、と言って、古泉は歩き出そうとする。
「ちょっと待て」
 古泉の前に回って、その動きをあえて抑える。
 遮らなければ、説得力を持たないのだ。
「さっきも長門に似たようなことを言われたよ。ハルヒをよろしくとかって」
 聞き方を変えれば、俺がこの宇宙を統括する情報思念体に信用されている裏付けでもあるのだが、逆に、ハルヒがちっとも信用されていないのに他ならない。

「副団長のお前が、団長のハルヒを信じてやれないでどうする」

 古泉の眉が動く。俺は言葉を続ける。
「信用しろと言う方が難しいかもしれんが。けど言っておく。ハルヒはそこまでヤワな奴じゃないね。最初のころは確かに剥き出しの刀みたいに危険極まりありゃしなかった。しかし人間半年ほど時間が経つと変わるもんだよ」
 確かにハルヒは唯我独尊を具現化し、傲慢さと強引さを加えてシェイカーで程よく混ぜ合わせたような凶悪な女である。
 でも、
 半年も付き合っていて、俺自身も変わってしまったようだ。
「今でも危険なことには変わりない。でもな。こんな俺でも食い止められるほどには成長したと思うぜ。具体的に言えば、一回のズル休みを許してくれるほどに」
 一万円を古泉の手のひらに叩き付ける。
「だからお前はこの一万円で存分に楽しんでこい。好きなもん食って、好きなもん買って。好きなとこに行って好きなだけ休め」
 古泉は自らの手中の一万円を見つめ、俺の顔を見つめ、目を瞑って夕暮れの空を仰ぎ、ふーっと長いため息をつく。再び俺の方を見た時には、苦笑していた。
「あなたの意見にはいつも驚かされます」
 むしろお前たちの機関の思考が単純なだけじゃないのか。
「確かに考えられますね。今のところ保守体制のままですから。しかし、それを聞いて安心しました」
 古泉は一歩脚を踏み出し、
「あなたになら、彼女を任せられそうですね。この世界の終わりまで」
 あえてそれっぽい台詞を選んでいるように聞こえる。
「やはり不愉快そうですよ」
 よくわかったな。
 ま、眉をしかめればバレるか。
「残念ながら、あなたが考えているそのままの意味です。あなたと彼女なら世界で最後の二人になることも夢ではありません。新たな人類の一歩を担ってみるのも悪くないのでは?」
 そんな選択肢はまっぴらごめんだね。
 俺には頭悩ましげな事件ばかり起こる娑婆の方が性に合っている。だから俺は自分が正しいと思う行動をするつもりだ。
 俺はまだ、このありきたりな日常が大好きで仕方ないんだ。
「僕もですよ」
 いつの間にか古泉が、口に添えていた手を下ろしていたのに気づいた。
「たまに起きるからこそ、ミステリーには存在価値があるのでしょう。今日は普通の高校生らしく楽しんでこようと思います」
「ああ、せいぜい楽しんでこいよ」
 普通の高校生に外せる羽目は限られているからな。
 それでは、と手を振り、古泉は背中を向けて歩き出す。もう振り返りはしないだろう。学生鞄を肩にかけて、夕日に染まる正門までの道を歩んでいく。
 
 古泉も古泉で、休息が欲しかったのだろう。
 涼宮ハルヒがこの超常現象を引き起こす力を失うまで古泉の仕事は続く。いくら機関から支給があったとしても、時間までは保証してくれまい。
 古泉にとっての高校生の時間は今しかないのだ。
 青春を謳歌して罪になるはずがない。
 せめて今日ぐらい休んでも文句は言われやしないだろうよ。
 遠ざかってゆく、小さくなっていく背中を見ながら、そんなことを思う。


 その九へ  その十一へ