涼宮ハルヒの変装 その十一

    *


 学校の中は瞬く間にハロウィンへと染まっていく。カボチャのオレンジと、悪魔を思わせる黒のカラーが取り巻いていく。だんだん人の数の増えていき、文化祭に勝るとも劣らない祭りの空気が漂ってくる。出店も多く並んでいるようで、クレープの甘ったるい香りと焼そばソースの匂いが鼻腔を刺激する。内容の解らない騒々しさが輪に掛けて増えてくる。生徒に取ってみれば来たるべき文化祭に備えてのリハーサルみたいなものだろう。その熱気と盛り上がり方は勝るとも劣らない。
 参加できなくて残念だったな。古泉。
「古泉くんと何話してたの?」
 肩をつついて、後ろからハルヒが話し掛けてくる。
 てっきり怒鳴られるもんだと身構えてたが、意に反してハルヒはいつになく穏やかだ。
「いや、少し──男の話をな」
 それ以上ハルヒは詮索しない。古泉が向かう正門の向こう側を見やり、
「あーあ、古泉くんも帰っちゃったか」
 ハルヒはいかにも残念そうな表情で古泉を見つめている。肩にかかる髪の毛を指でくるくると巻き付ける仕草が似合っている。こいつはやはりロングのままのほうが良かったと思う。何で切ったのか改めて疑問に思う。もったいない。
「さてみんな!」
 長い髪をなびかせつつ、くるっと振り返って百ワットの笑顔と共に話し出す。
「ハロウィンと言えば何だかわかる?」
 唐突だ。
 えーと、
「ハロウィンつったら、カボチャか?」
「外れ。みくるちゃんは?」
「えっと、トリックオアトリートですか?」
「んー惜しい、ちょっと違うわね」
 俺の答えも鶴屋さんの答えも外れて、ハイッと快活な返事と鋭く手を挙げた鶴屋さんが、
「コスプレにょろ‼」
「大正解‼ ったくキョンももうちょっと考えなさい!」
 考えろっていってもなあ。朝比奈さんはよくて俺は駄目か。
「今回のSOS団の活動をするにあたって、全員ハロウィンの仮装をすることにしたわ! だから」
 ハルヒは、部室から持ってきた紙袋を掲げる。
「こうやって、みくるちゃんの衣装を持ってきたってわけよ!」
 考えるべきだった。朝比奈さんの肩が震えたのを、俺が見逃すわけがない。
「でもでも今日は色々あってあたしがみくるだからねぇ? さぁて、どんな格好がいいにょろ?」
 鶴屋さんが言うからにはもう止められまい。朝比奈さんは貞操の危機に怯えつつも的確な意見を、
「あ、あの、キョンくんの衣装はどうするんですか?」
 そうだろうと思ったよ。
 俺はたまたまポケットに入っていた紙切れをブレザーのポケットから取り出す。一見すると千円札ぐらいの大きさのそれに、片面に漢字とも古代エジプトの象形文字とも取れるデタラメな模様を書きこむ。
 おでこに貼る。
 キョンシー。
「却下」
 即答。剥がしとられた。
「何故だ、俺の一世一代のギャグを蔑ろにするつもりか」
「努力も工夫も汗も涙もあったもんじゃないわ! もっと派手にしなさい派手に!」
 もちろん、ハルヒの傍若無人な言動も止められるはずが無い。
 飛び入りの参加者のために協力してくれる店もあって、俺たちがいるこのゲリラ式喫茶店もその一つで、衣装や着替えのための更衣室を貸してくれるらしい。
 プレハブで仮説された店内には他のハロウィン参加者が多く詰め掛けているドラキュラやミイラはもちろん、バットマンやスパイダーマンなどのキャラクター、──何を勘違いしたのかジャパニメーションのコスプレをしている人が大多数だが──で大盛況だった。
 こう見ると、生徒だけでなく一般の参加者もいるもんだな。
「それじゃあみくるちゃん、覚悟はできてるよねぇ」
「ひ、ひゃ」
 ハルヒに首根っこ掴まれて更衣室に連れて行かれる朝比奈さんをなす術も無く傍観する。
 更衣室に入る。
 俺は俺で衣装を選び、サイズがぴったりと言う理由から、カボチャの被り物と黒のマントを選んだ。財布の中からのレンタル料に別れを告げた。
 更衣室から出ると、ハルヒと鶴屋さんが席に座っているのが見える。つまり朝比奈さんとハルヒが着替えを終えたということである。
「鶴屋さんはまだのようですね」
「え、ええ」
 朝比奈さんがおどおどしながら答える。
 ハルヒの姿、つまり朝比奈さんが着替えたのはワインレッドのドレスだ。極めてシンプルなデザインからすると社交用ではないのだろう。それでも元々の高級感が手伝って、どこか令嬢のような雰囲気を感じさせる。すらっとしたハルヒの身体の線に合わせて身を包んでいる。
 正直に言うと、かなり似合っている。
「いいドレスですね」
 手袋を着けた指でドレスの表面を撫でていた朝比奈さんは、
「あ、違うんです。これは鶴屋さんが用意していた物で」
 ハルヒが間から会話に割り込んでくる。
「あたしとみくるちゃんはこれでちょうど良かったんだけど、肝心の鶴ちゃんのがサイズ合わなかったの。んで、あたしが持ってきたみくるちゃん用のコスチュームを選んでるってわけ」
 一方の鶴屋さん、つまりハルヒは朝比奈さんとは打って変わって奇妙な出で立ちだった。確かに相当高価な物だと思う、が、白無垢と頭部におでこを隠す三角形の布を着けている。
 死に装束である。
「だって当たり前よ、ハロウィンなんだし。本当はあのドレスで女吸血鬼をやってみたかったんだけれど、まあ仕方ないし。それよりあんた遅すぎよ! 結局制服にカボチャとマント付けただけでしょ! 団員ならもっと素早く行動しなさい!」
 カチンときた。
 少しからかってやろうか。
「このカボチャがフィットしなかったんでな。それよりも、お前にしては随分と地味なメイクだな」
 ずいっと頭部を寄せてみる。このカボチャが迫ってくるだけでむさ苦しいだろう。俺の指摘が的中してたかカボチャが邪魔だからか、ハルヒは不機嫌そうに眉をひそめる。
「もうちょっと、アイシャドウを真っ青に入れてみるとか、口元に血糊を垂らしてみるとか、ほっぺたまで口紅をぐいっと付けて口裂け女だとか。藁人形ハンマー五寸釘も足りないんじゃないか?」
 自分で喋って思うが、鶴屋さんが本気でそんなメイクをしたら似合いすぎておっかない。
 口元から八重歯がはみ出て顔面に垂れ下がる長髪とただれた顔面で片目が塞がっていて、想像すまじ。怖すぎる。四谷怪談もびっくりだ。
 だがハルヒにストレスを与えるのには十分だ。実際ハルヒもメイクをしようと企んでいたのだろう。しかし鏡の前で気づいたもかもしれない。おそらく化粧という行為そのものが、他人に落書きをするようで背徳感を抱いたためにできなかったのだろう。
 やりたいと思っていてもできない。
 そこを突けば誰だって不機嫌になる。ましてやハルヒだ。こいつの辞書に我慢はあっても妥協はない。
「仕方ないでしょ。そんなに着飾っても動きにくいだけだし」
「派手にしろって言ったのはお前じゃなかったっけ」
 朝比奈さんは右往左往と表現するに相応しい戸惑いっぷりだ。
 大丈夫ですよ朝比奈さん、今はあなたが『ハルヒ』なんです。
「やあやあお待たせ〜っ!」
 鶴屋さんは黒のマントで全身を包み、頭に魔女のとんがり帽子を被っている。やってきた彼女は俺たち二人の顔を交互に見て、
「もしかするとお邪魔だったかな?」
「──別に」
 ヘの字に口をつぐむハルヒの顔を見て、次に俺の顔を見て、
「まったく。キョンくんもハルにゃんももっと素直になればいいのにさっ。恋に喧嘩はつきものっていうけどね」
 誰が恋人だか。
「誰が恋人よっ!」
 俺とハルヒは同じタイミングで似たような台詞を口走った。
 ──罠だ。まんまと鶴屋さんの罠に引っかかってしまった。
 俺も少々調子に乗りすぎてた。これほど見え見えのブービートラップにはまるなんてな。ハルヒも後悔の渦中まっただ中のようで、そっぽを向いてしまった。してやったり、な顔で笑う鶴屋さんも、顔が朝比奈さんだから許せてしまう。
 ここは話題を変えねば。
「えっと、鶴屋さんはどんな格好を?」
「よくぞ聞いてくれましたっ‼ さぁて皆さんお待ちかね! あたしが選んだみくるにベストチョイスな衣装、それは‼」

 朝のあの時に見た小悪魔的な笑み。 
 まさか、
 まさかまさか。
 マントを開いた先には──。

 マントの下は赤いバニーガールの衣装だった。
「いやぁーみくるのサイズに合うセクシーなのが無かったからっ、ハルにゃんが持ってきてくれた服をちょろっと組み合わせてみたのさっ。するとほら、完璧にピッタリになったにょろ!」
 ──心臓に悪い。
「またあんな格好をするんじゃないかと肝を冷やしましたよ」
「いやいやまさかそんなぁ〜!」
 鶴屋さんは俺のカボチャ頭を横からバシバシひっぱたき高らかに笑う。
「公衆の面前であれやったら冗談抜きで補導ものだよっ! さすがにみくるに迷惑かけちゃあ駄目だからねぇ」
 肌に感じる二カ所の柔らかい感触。
「でも、──ね」
 鶴屋さんが俺の腕を抱き寄せて、胸を押し当てている。
「──キョンくんが見たいっていうんなら考えようかな?」
 朝比奈さんの目が、求めるように見つめている。甘い口調が、俺の身体ではなく精神を揺さぶる。
 落ち着け。見た目は朝比奈さん中身は鶴屋さん。明らかに誘っている、じゃなくて陥れようとしている。トリックオアトリートとはちょっと違うのではないか。凶悪すぎるハニートラップだ。朝比奈さんは泣きそうな目で怯えているし、ハルヒは超を二ダースおまけしてもいいくらいに眉をひそめている。負けるな理性、素数を数えて落ち着くんだ。
 そう心で唱えて絡み付く鶴屋さんの腕をほどく。
 鶴屋さんはちぇっと呟き、俺に横目を使い、名残惜しそうに離れてゆく。
 それを見て、ハルヒはまた俺にじめっとした視線を投じるのだ。これほど心を痛める日々があっただろうか。いやない。
 ハルヒは不機嫌をまき散らすようにカウンターの向こうの喫茶店マスターに話し掛ける。
「マスター、何かぱーっと盛り上がれることないの?」
 模擬喫茶店のマスターはハルヒの無礼極まりない質問にも怒らず、ダスター布でカップを磨く手を止めて答える。
「すみません。いきなり呼ばれて来たから準備してないんですよ。ビンゴゲームくらいだったら持ってきているけど」
「んじゃそれにしましょ」
 マスターはおどおどとカウンターの下に潜り込み、ハンドルのついた球体のシェイカーを取り出した。ずいぶんと腰の低いマスターである。ハルヒは格子状に組まれたそれを見て、
「これ何? ハムスターが回るの?」
 珍しい。知らないのか。
「福引のくじとだいたい同じだ。ハンドル握って中に入っているボールを混ぜて、穴から出たボールに振られている番号のビンゴを開ける、てな感じだ」
「こう?」
 案の定、ハルヒはハンドルを折りかねない猛スピードで回した。23と書かれたボールは放射線を描いて飛び、カウンターの上を転がって、隣の客の足元に落ちる。俺がボールを拾おうとかがみ込んだところで、
 それだけだったら普通だった。
 鶴屋さんを除く、俺たち三人は少なからず驚きを隠せなかった。
 ボールを拾うことは頭から吹っ飛んでいた。
 予定調和というのが適当か。ハルヒと関わったら必ず一悶着が起きる。そこにいる奴の名前は記憶にないが、そいつがどんな役割を持ち、どんな活動をしているのかは重々知り得ている。
 長門よ。どうやら結構な事態になってしまいそうだよ。
 絶対に。

 俺等が見つめるその先、烏龍茶を注いだ丸形氷入りのグラスを傾け、カウンター席に半座していたのは、
「やあ、奇遇だな」
 コンピ研部長だったのだ。



  • 最終更新:2008-05-06 22:51:11

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード