涼宮ハルヒの変装 その十二

 コンピ研部長はふてぶてしく呟いた。
「また君たちか」
 というか、何故あんたがいるのか。こういうハロウィン好きな趣味でもあったのか。
「いや、ちょっとした野暮用でね」
 持っていたグラスの中身を一気飲みして、23番のボールをカウンターに置いて立ち上がる。
「僕の友人を紹介しよう。彼が阿藤だ」
 カウンター奥、確かに二人分の椅子を一人で占領している角刈りの男が座っている。
 彫りのある顔と鍛えられた体格で日本人とは思えない。持っているティーカップと猫のイラスト付きの文庫本が、小人の道具であるかのような錯覚を覚える。制服の上からも筋肉が見てわかる。椅子二つを同時に使用する理由も頷ける。北高の制服を付けているからにはおそらく上級生だろうが、スモークカラーのサングラスを好き好んで掛ける高校生がこの世にいるのか。それよりも本当に人間かどうか疑う。コンピ研で独自開発した対涼宮ハルヒ用ヒューマノイド型インターフェイスではなかろうな。
「ちょうどいい機会だ。団長殿、いつかの決着を付けないか?」
「え、いやあのっ」
「話は簡単だ。あの時の雪辱を果たしたい。だから彼と勝負してもらえないだろうか」
 どうやらややこしいことになっているようだ。朝比奈さんはとぎまぎするばかりで答えられない。
「そんなに怖じ気づくとは、臆病風に吹かれたか」
 部長さんよ。彼女の見かけは確かにハルヒだが、中身はあんたが胸を触った朝比奈さんなんだよ。そりゃあ怖がるのが当たり前だ。
「しばらく会わない間に弱気になったものだな」
 部長さんよ、頼むからそんなに勝ち誇って鼻で笑わないでくれ。部長を知らないはずの白無垢の長髪の女の子がもの凄い剣幕で睨んでることに気づいてくれ。ハルヒ、頼むから出てこないでくれよ。火に油どころかガソリンを注ぐ騒ぎだ。
 俺の願いも虚しく、ハルヒは前に出て部長の前に立ち塞がる。突然の乱入に一瞬当惑したのか部長に、
 ハルヒは、口を開いた。
「いいわ。その勝負、SOS団じゃなくてあたしが引き受けるわ」
「誰だい君は?」
 知っての通り、現在ハルヒの外見は鶴屋さんである。
 ハルヒだということは黙っておいたほうがいいだろう。
「別にそんなことはいいでしょ。それよりも、勝負しないの? したいの? どっちなの」
 部長は鼻頭を撫でて長考する。阿藤を横目でちらっと見てから、
「ただし条件がある。女の子一人と阿藤では弱い者いじめにもほどがある。もしSOS団のメンバーも参加するというなら考えてやってもいい」
「いいわねみんな‼」
 部長だけでなく俺たちもたしろぐ。しかしハルヒの命令であるから首を縦に振るしかない。
「ま、まあ君の熱意には驚かされた。こちらとしても全力で勝負せねばならない」
「それよりも」
 ハルヒは部長に対して手を差し伸べる。
 まるで何かをよこせと言わんばかりの。
「あんたたちがSOS団所有のパソコンを取り戻したいのはわかったわ。んで、あんたたちが負けたら、何をくれるの?」
 真昼に幽霊に出くわしたような顔だ。腹の内を読まれてしまったのか、部長は目を白黒させ、思いっきり頬を引きつらせる。唇を右端に歪ませる。
 それが苦笑であるのは明らかだ。
「し、しかし何だ君は? 見ず知らずの相手に勝負を引っ掛けるなんて」
 部長の口元から、本当の笑いが漏れる。
「それに僕が勝負をしたいのは、君じゃなくて彼女だよ。君も生徒なら知ってるだろ涼宮ハルヒ。なのにそれに割り込んで、まるで自分に喧嘩を振られたかのような口調で。しかも戦利品まで無心してきて。冗談も甚だしい。僕はそんなに暇じゃないんだよ」

「いい加減にしろっ‼」

 ハルヒの大声に、店内の客全員が振り向く。
 先ほどから文庫本に視点を下ろしていた阿藤という男も、サングラス越しにこちらを見る。カウンター奥でマスターがこそこそと身を縮み込ませている。模擬店内の客が何だ何だと口走りながら、興味本位の眼差しを容赦なく浴びせかけてくる。何十もの目がこちらに向けられる。
 気迫に負けた部長に、ハルヒは続ける。
「何よあんた、一度引き受けた約束を反古するの⁉ しかもあたしが条件を要求した瞬間に手のひら返すなんて女々しいにも程があるわ‼ それでも男なの⁉ 男なら、一度言ったことを最後まで突き通しなさい‼」
 部長のネクタイを掴んで引き寄せる。首を締められて、ガマガエルのような声を出す。
「それにね、あたしの友達を侮辱するのは止めなさい。あんたよりもあの子の方が数百万倍も度胸があるわ‼ うわべと利害だけで人を見るあんたにはわからないでしょーけどね! だからあたしはみんなと一緒に勝負するのよ‼ 本当の勝負を見せて上げるわ‼ せいぜい覚悟なさい‼」
 息を荒くしてハルヒは喋り終わった。
 途端に周囲から歓声が湧き上がる。贔屓のチームが得点を入れたような騒ぎだ。どよめきに拍手が混じり合いヒューヒューと甲高い指笛か響く。
「いいぞー姉ちゃん!」「もっと言ってやれー!」「応援してるわー!」
 きょろきょろ見回すマスターと同じように部長の目にも動揺の色が見える。ハルヒが手を離すと、部長は喉に手を当ててむせる。何度か咳をした後、
「わかったわかった、君にも勝負を挑もう」
 さらに歓声が湧き上がる。その中でも阿藤は静かにハルヒを見ているばかりだ。鶴屋さんは嬉しそうに朝比奈さんは怯えつつ見守り、俺は現実感をまだ抱けていない。
「そ、そうだな。もし仮に勝利したなら、改めて君たちのパソコンをバージョンアップさせた上に高スペックに改造してやろうではないか」
「あたしには?」
「──最新式のパソコンプリンターだ。これ以上求められても仕方がない。文句はなした」
 ハルヒは、フンと鼻をならし、
「文句はない? それはこっちの台詞よ」
 口をぱくぱくさせながら指差している部長に、ハルヒはこちらを振り向く。八重歯を剥き出しにしたその顔で、
「さっさと始めましょ。善は急げっていうでしょ」
 笑っていた。


     *


 模擬喫茶店の正面には、かなりの人間が集まり野次馬根性丸出しのオーディエンスと化している。どこからか持ち出されたホワイトーボードにオッズ表を書き込んでいる。いつの間にかマスターもタキシードとマントに着替えて貧血寸前の貧相なドラキュラに扮している。さらに出店を開いている人々からも野次に似た歓声が湧き上がっており、協力するぞとか勝てば官軍だとかといった内容の応援をして、相変わらず指笛の甲高い囃し立てが響く。
 ここまで盛り上がるとは思わなかった。
 阿藤の姿は、例えるなら鋼の巨体だ。
 年季の入った革ジャンと黒のズボンを身にまとい、冗談ではなく丸太のように太い腕でジャケットはぱんぱんに膨らんでいる。相変わらずの黒のサングラスが表情のない冷酷な風貌を醸す。持っているショットガンは本当に模造品だろうなと尋ねてみたいが、日本語が通じるのかどうか本気で心配になる。動作の一つ一つの機械的で無駄がない様子が精巧緻密なロボットを脳裏にフラッシュバックさせる。
 俺たちが横一列に並んでいるところに、コンピ研のメンバー三人が対峙する形で向かい合っている。こちら側の列は朝比奈さん、鶴屋さん、ハルヒの順に並んでいる。対してコンピ研は部長、貧弱そうなマッシュルームメガネ、小太りのジャガイモ頭、そしてふた周りほど巨大な阿藤と続く。つまり俺の目の前に阿藤がいるのだが、その威圧感は場違いなまでにおっかない。
「勝負は簡単、平たく言えば鬼ごっこだ」
 部長がルールの説明を始める。
「だが追いかける側と追う側は変わらない。お互い一人大将を決めておいて、大将の目印を奪い合うことにする。全員が捕まるか大将の目印が奪われるかで勝敗が決定するということだ。そうだな、」
 コンピ研は阿藤の頭を指差して、
「こちらは阿藤を大将にする。彼のサングラスを奪ったら、君たちの勝ちだ」
 一番身長の高い俺から見ても、その頭は高すぎる。二メートルはあるんじゃないか。
「それで、君たちはどうする」
「そうね。それじゃあたしたちはあれにするわ」
 ハルヒはそう言って、鶴屋さんの被っているトンガリ帽子を指差した。
 その途端に部長のこめかみに冷や汗が滲む。苦虫を噛んだどころか飲み込んだような、過去の傷口に塩を塗られたような。まあ、今の鶴屋さんの姿が朝比奈さんの格好だから、わからなくもない。彼女の胸を『もまされた』ことでコンピ研はパソコンを奪われたのだからな。
 しかし部長は取り付くように、わざと咳をして、余裕の顔で語る。
「学校内ならどこを逃げてもいい。逃げる範囲が増えればその分有利だろうから」
「わかったわ」
 ハルヒが頷くのを見て、部長は鼻で笑う。
「ま、それでも逃げ切れるわけはないがな」
「そんなのやってみなきゃわからないでしょ」
 ハルヒが振り返る。手招きするってことは俺たちの中で内緒話があるってことだろう。全員で肩を組む形で円陣を囲む。頭のカボチャがちょっと邪魔だが、ハルヒの囁きははっきりと聞こえる。
「いい? 絶対勝ってコンピ研をたたきのめすわよ」
 うししし、と鶴屋さんは嬉しそうに語る。
「いきなりこんな展開になって驚いたけど、こういうのめがっさ大好きさっ! あたしが大将ね、頑張るにょろ!」
「あの、本当に大丈夫でしょうか」
 朝比奈さんの言うことに一理ある。
「ハルヒ。どうしてこんな勝負を受けたりしたんだ? わざわざ火の粉を被りに行くようなもんだぞ」
「売られた喧嘩は十倍にして返すものよ」
 だめだこりゃ、久々の本気の目つきになっている。
「それに、あたしは
 こうなったら俺でも止められない。
「有希と古泉くんがいないのが残念だけど仕方ないわ。私たち四人だけで、生意気なコンピ研をギッタギタにしてあげましょ!」
 逃げるだけだからギッタギタも何もないと思うのだがな。
 古泉と長門が不在なのは確かに心配だ。
 何か異常事態が起きても、対応できそうにない。これは結構な恐怖でもある。
 俺たちは並び直して、何やら相談し合っている部長と阿藤の二人と向き合う。
 阿藤は部長を見下ろして、
「報酬は覚えているな」
「もちろんだとも、サマのサングラスの限定モデルだったな。任務を成功した暁には君に進呈しよう」
 阿藤は一秒だけ沈黙し、ゆっくりと首を縦に振る。
「了解した」
 そのまま首をひねり俺たちを見る。肩も連動するように真正面に向き仁王立ちし、ショットガンを腰に構え、左手でリロードさせポンプ音を鳴らす。一つ一つの動作に無駄がなく、それ故に無機質な恐怖を覚えさせる。
 そして、ロボットのような口調でひと言。

「ターゲット、ロックオン!」

 観客から熱狂的な大歓声が上がる。銀幕のハリウッドに出てきそうな姿に完璧に扮しているからであろうか。良い意味でも悪い意味でもハロウィンが盛り上がってゆく。阿藤は観衆に答えず、首をゴキリと回すだけだ。
 思う。
 こいつは、本当に人間だろうか。
「そ、それじゃ、準備はいいかい?」
 強制的にレフリーを任された喫茶店マスターが弱気にホイッスルを吹く。



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