涼宮ハルヒの変装 その四
今考えることと言えば、相場は決まっている。
「何でこんなことになったんだ?」
谷口の顔の古泉はいかにも大袈裟に肩をすくめる。
「残念ながら。機関からの連絡もありませんし、何より今の僕は一介の高校生。申し訳ありませんが皆目見当がつきません」
あまり気にしてはいない様子にも見える。
まあいい、この状況を一度整頓してみるか。
朝起きたら俺を除く全員の精神が入れ替わっていた。
長門と妹、それと古泉と谷口が交互に。次に鶴屋さんが朝比奈さんに、朝比奈さんがハルヒに、そしてハルヒが鶴屋さんの身体へ、という感じだ。
「男と女が入れ替わってなくて良かったな」
「ともすれば、今よりさらにややこしいことになってたでしょう」
俺が朝比奈さんになってでもしたら、良心の呵責と理性の連合軍が欲望と感情の帝国軍と宇宙戦争を勃発してたかもしれないからな。ハルヒの場合は想像し辛い。原発を身体に抱えたようなシチュエーションは遠慮したい。
それにしても謎だらけだ。
「どうして俺だけ何も変わっていないんだ? なんだか仲間はずれにされたみたいだ」
「彼女がそれを望んだから」
見下ろす。先ほどまで沈黙していた長門が、妹の声で答える。
「涼宮ハルヒがハロウィンが起因でこのような現象を引き起こしたと仮定すると、おそらく今日でこの現象は終了する」
普段の妹なら絶対言ったりしない、その的確な意見に俺は苦笑するしかない。
古泉はなるほどと頭に付け足して、
「男性と女性での入れ替わりが起きなかったのも、彼女自身が常識的に考えたせいであり、ハロウィンで彼女が望んだのだから、ハロウィンが終わればすべてが解決する。ということですね」
長門は小さく頷いた。
古泉は、俺に谷口の顔を向けてくすっと笑い、
「それ以上の真実を知りたければ、彼女の心理を読むに限ります。もっとも、そんなことができたら機関の仕事も楽になるはずですが」
ハルヒが望んだねえ。
この半年の間、ハルヒと出会って様々な不思議な出来事に遭遇した。そのほとんどがハルヒの願望によって発生した現象であり、過程を飛び越えて決論に達する法則無しの事件であった。しかもハルヒ当人は自らの力に自覚せず、宇宙人、未来人、超能力者が隣にいるにも関わらずさらにこの世の謎を求め続けている。青い鳥は近すぎるから見えない。
今回のケースは結構稀なものかもしれない。
普段は間接的にしか不思議現象に関わることのできなかったハルヒが、背後のドアの向こうで朝比奈さんを脱がせている。実際は朝比奈さんになった鶴屋さんが自分で脱いでいるだけなのだが。
ここまで直接的にハルヒが事件に関わることがあっただろうか。
ドアに背中を預けてもたれかける。自然とハルヒたちの声が耳に飛び込んでくる。すべての元凶の楽しそうな笑い声が聞こえる。
「う〜ん、これなんてどう、みくるちゃん?」
「お、ちょうどいいのがあるじゃん! 帽子を被ってこれ着けてっと、さーて、何するかわかるかなぁ?」
「い、いやぁ‼」
「じゃじゃーん! どーよこのナイスバディ! しかもこれだけで色っぽいでしょっ」
「そ、そんなに捲らないでくださいっ」
「みくるちゃん。こーゆーのはね、隙間から見える肌の色っぽさとかチラリズムといったのが肝心なの! 全部見せるより見えそうで見えない、そんなギリギリのせめぎ合いが最高なのよ!」
こんな感じである。
しかしさすがはハルヒ、よくわかってらっしゃる。プロの視点から意見を出したいので、ぜひとも扉を開いてこの私めにも見せてもらえないだろうか。
「このアホキョン‼」
聞こえていたか。鶴屋さんの声でドア越しに罵倒を受け止める。いやぁと叫ぶハルヒの声、布のこすれる音、こちらに向かってくる足音。
足音。
足音?
鶴屋さんの声がどうしたの、と誰かに話しかけている。足音が俺の背後まで迫る。ぴたっと止まったと思うと、ノブを回す音。うわ、と驚く長門の声、数歩後ずさるような音。
後で聞いたところ、妹は勘違いしてドアを開けてしまったらしい。
天と地がひっくり返った。
背中の支えを失って、突風に煽られた案山子のように俺は大きく後ろに傾いだ。
俺の過去十何年かの人生において、最高にタイミングが悪かったかもしれない。
この部室のドアは内側に開く。すなわち誰かドアに引っ付いていればストッパーとなり、外部からの侵入を許さない。
そんな面倒くさいことをせずともノブに付いてる鍵をかければいいわけなのだが、中にいる連中に御丁寧に鍵をかけるような余裕のある人間がいただろうか。いやいない。
旧校舎の寂れた部屋の一室のドアである。学校の限り少なき予算で一応メンテナンスは行われているはずだが、所詮「閉まるか閉まらないか」を判断する程度でしかない。この部室のドアの蝶番は度重なる酷使と年月でかなり疲弊し強度が弱くなっている。しかも油圧サスペンションなど大層な装備もついてない。
つまり、ノブを回して外から多少力を加えれば、ドアは物理的法則に従い勢い良く開かれるのである。
外側に人間が引っ付いていれば。
「ぐは!」
床に頭を強打する。瞼の裏で火花が散る。全体重を後頭部と背中に受けたその衝撃は筆舌し難い。脳天にヒビが入ったのではないか。大きな瘤を拵えた頭を起こせず、床で唸ったまま立ち上がれず、上から真ん丸な黒い瞳で妹に見下ろされながら、
逆さまの風景を見た。
時間がゆっくりと流れている気がする。俺の脳が冷静に分析を始めていたのに気づいた。
なるほど。鶴屋さんが『いかにも』な下着を着けてきた意味がわかったような気がする。脱ぎ出すというのはもともと計画の内、朝起きて自らの状況を理解した瞬間にこの作戦を思いついたのだろう。相変わらすハイスペックな頭脳の持ち主だ。
学校指定のセーラー服が床に脱ぎ散らかされている傍らで、黒のレースのブラやショーツが蛇の抜け殻のように這いつくばっている。そうか、水着とかバニーガールとか、そういう類いの衣装に着替えていたのか。右手側のコスチュームセットに横目をやる。ホワイトボードに掛けられたウサギ耳のカチューシャと尻尾。バニーガールではない。するとハルヒか鶴屋さんが持ってきた水着なのだろうか。視線を前に戻すと、
幅広のとんがり帽子と黒のマント。
あんな衣装いつの間に用意していたのか。
俺の中の時空は未だにスーパースローの呪縛から解かれない。
朝比奈さんは魔女の格好をしていた。幅広のとんがり帽子に漆黒のマント。それなら普通なのだが、
マントの隙間から白い素肌が見える。腕の付け根から腰まで続くたおやかな曲線は究極の美だ。シルクのような艶のある肌は腰から太腿、そして揃えて座り込んだ二の足に続き、剥き出しにされた裸足が白く光を受けている。
先ほどまで騒いでいた内容を頭に入れれば一目瞭然であった。
つまり、マントだけしか身に纏っていなかった。
「いやぁ────────────────────────────‼」
ハルヒの声の悲鳴が校舎中に響き渡る。もちろんそれはハルヒではなく朝比奈さんが出した
悲鳴であるのは明確であった。
起き上がる。そばにいる妹の手を引いて部室の外にもう一回飛び出る。さっさとドアを閉じる。ドア越しに鶴屋さんの声の、ハルヒの罵声を浴びせられる。
なるほどな。
俺の苦労はまだ始まったばかりなのだ。
改めて感じる。ハルヒの前では俺はやはり道化のようなものなのだろう。あらゆるトラブルと騒動の狭間で、色々気苦労を考えつつも、回り回って奔走して何とか事態を収集させる。それが俺の役目であってそれ以上の何者でもない。
今回の騒ぎはぜひ静かであってほしい。
そう願っても結局は元に戻ってしまうのがオチなのかもしれないが。
とまあ、そういうわけで、ハルヒの悲鳴によって恐怖のハロウィンが始まってしまったわけなのである。
その三へ その五へ
「何でこんなことになったんだ?」
谷口の顔の古泉はいかにも大袈裟に肩をすくめる。
「残念ながら。機関からの連絡もありませんし、何より今の僕は一介の高校生。申し訳ありませんが皆目見当がつきません」
あまり気にしてはいない様子にも見える。
まあいい、この状況を一度整頓してみるか。
朝起きたら俺を除く全員の精神が入れ替わっていた。
長門と妹、それと古泉と谷口が交互に。次に鶴屋さんが朝比奈さんに、朝比奈さんがハルヒに、そしてハルヒが鶴屋さんの身体へ、という感じだ。
「男と女が入れ替わってなくて良かったな」
「ともすれば、今よりさらにややこしいことになってたでしょう」
俺が朝比奈さんになってでもしたら、良心の呵責と理性の連合軍が欲望と感情の帝国軍と宇宙戦争を勃発してたかもしれないからな。ハルヒの場合は想像し辛い。原発を身体に抱えたようなシチュエーションは遠慮したい。
それにしても謎だらけだ。
「どうして俺だけ何も変わっていないんだ? なんだか仲間はずれにされたみたいだ」
「彼女がそれを望んだから」
見下ろす。先ほどまで沈黙していた長門が、妹の声で答える。
「涼宮ハルヒがハロウィンが起因でこのような現象を引き起こしたと仮定すると、おそらく今日でこの現象は終了する」
普段の妹なら絶対言ったりしない、その的確な意見に俺は苦笑するしかない。
古泉はなるほどと頭に付け足して、
「男性と女性での入れ替わりが起きなかったのも、彼女自身が常識的に考えたせいであり、ハロウィンで彼女が望んだのだから、ハロウィンが終わればすべてが解決する。ということですね」
長門は小さく頷いた。
古泉は、俺に谷口の顔を向けてくすっと笑い、
「それ以上の真実を知りたければ、彼女の心理を読むに限ります。もっとも、そんなことができたら機関の仕事も楽になるはずですが」
ハルヒが望んだねえ。
この半年の間、ハルヒと出会って様々な不思議な出来事に遭遇した。そのほとんどがハルヒの願望によって発生した現象であり、過程を飛び越えて決論に達する法則無しの事件であった。しかもハルヒ当人は自らの力に自覚せず、宇宙人、未来人、超能力者が隣にいるにも関わらずさらにこの世の謎を求め続けている。青い鳥は近すぎるから見えない。
今回のケースは結構稀なものかもしれない。
普段は間接的にしか不思議現象に関わることのできなかったハルヒが、背後のドアの向こうで朝比奈さんを脱がせている。実際は朝比奈さんになった鶴屋さんが自分で脱いでいるだけなのだが。
ここまで直接的にハルヒが事件に関わることがあっただろうか。
ドアに背中を預けてもたれかける。自然とハルヒたちの声が耳に飛び込んでくる。すべての元凶の楽しそうな笑い声が聞こえる。
「う〜ん、これなんてどう、みくるちゃん?」
「お、ちょうどいいのがあるじゃん! 帽子を被ってこれ着けてっと、さーて、何するかわかるかなぁ?」
「い、いやぁ‼」
「じゃじゃーん! どーよこのナイスバディ! しかもこれだけで色っぽいでしょっ」
「そ、そんなに捲らないでくださいっ」
「みくるちゃん。こーゆーのはね、隙間から見える肌の色っぽさとかチラリズムといったのが肝心なの! 全部見せるより見えそうで見えない、そんなギリギリのせめぎ合いが最高なのよ!」
こんな感じである。
しかしさすがはハルヒ、よくわかってらっしゃる。プロの視点から意見を出したいので、ぜひとも扉を開いてこの私めにも見せてもらえないだろうか。
「このアホキョン‼」
聞こえていたか。鶴屋さんの声でドア越しに罵倒を受け止める。いやぁと叫ぶハルヒの声、布のこすれる音、こちらに向かってくる足音。
足音。
足音?
鶴屋さんの声がどうしたの、と誰かに話しかけている。足音が俺の背後まで迫る。ぴたっと止まったと思うと、ノブを回す音。うわ、と驚く長門の声、数歩後ずさるような音。
後で聞いたところ、妹は勘違いしてドアを開けてしまったらしい。
天と地がひっくり返った。
背中の支えを失って、突風に煽られた案山子のように俺は大きく後ろに傾いだ。
俺の過去十何年かの人生において、最高にタイミングが悪かったかもしれない。
この部室のドアは内側に開く。すなわち誰かドアに引っ付いていればストッパーとなり、外部からの侵入を許さない。
そんな面倒くさいことをせずともノブに付いてる鍵をかければいいわけなのだが、中にいる連中に御丁寧に鍵をかけるような余裕のある人間がいただろうか。いやいない。
旧校舎の寂れた部屋の一室のドアである。学校の限り少なき予算で一応メンテナンスは行われているはずだが、所詮「閉まるか閉まらないか」を判断する程度でしかない。この部室のドアの蝶番は度重なる酷使と年月でかなり疲弊し強度が弱くなっている。しかも油圧サスペンションなど大層な装備もついてない。
つまり、ノブを回して外から多少力を加えれば、ドアは物理的法則に従い勢い良く開かれるのである。
外側に人間が引っ付いていれば。
「ぐは!」
床に頭を強打する。瞼の裏で火花が散る。全体重を後頭部と背中に受けたその衝撃は筆舌し難い。脳天にヒビが入ったのではないか。大きな瘤を拵えた頭を起こせず、床で唸ったまま立ち上がれず、上から真ん丸な黒い瞳で妹に見下ろされながら、
逆さまの風景を見た。
時間がゆっくりと流れている気がする。俺の脳が冷静に分析を始めていたのに気づいた。
なるほど。鶴屋さんが『いかにも』な下着を着けてきた意味がわかったような気がする。脱ぎ出すというのはもともと計画の内、朝起きて自らの状況を理解した瞬間にこの作戦を思いついたのだろう。相変わらすハイスペックな頭脳の持ち主だ。
学校指定のセーラー服が床に脱ぎ散らかされている傍らで、黒のレースのブラやショーツが蛇の抜け殻のように這いつくばっている。そうか、水着とかバニーガールとか、そういう類いの衣装に着替えていたのか。右手側のコスチュームセットに横目をやる。ホワイトボードに掛けられたウサギ耳のカチューシャと尻尾。バニーガールではない。するとハルヒか鶴屋さんが持ってきた水着なのだろうか。視線を前に戻すと、
幅広のとんがり帽子と黒のマント。
あんな衣装いつの間に用意していたのか。
俺の中の時空は未だにスーパースローの呪縛から解かれない。
朝比奈さんは魔女の格好をしていた。幅広のとんがり帽子に漆黒のマント。それなら普通なのだが、
マントの隙間から白い素肌が見える。腕の付け根から腰まで続くたおやかな曲線は究極の美だ。シルクのような艶のある肌は腰から太腿、そして揃えて座り込んだ二の足に続き、剥き出しにされた裸足が白く光を受けている。
先ほどまで騒いでいた内容を頭に入れれば一目瞭然であった。
つまり、マントだけしか身に纏っていなかった。
「いやぁ────────────────────────────‼」
ハルヒの声の悲鳴が校舎中に響き渡る。もちろんそれはハルヒではなく朝比奈さんが出した
悲鳴であるのは明確であった。
起き上がる。そばにいる妹の手を引いて部室の外にもう一回飛び出る。さっさとドアを閉じる。ドア越しに鶴屋さんの声の、ハルヒの罵声を浴びせられる。
なるほどな。
俺の苦労はまだ始まったばかりなのだ。
改めて感じる。ハルヒの前では俺はやはり道化のようなものなのだろう。あらゆるトラブルと騒動の狭間で、色々気苦労を考えつつも、回り回って奔走して何とか事態を収集させる。それが俺の役目であってそれ以上の何者でもない。
今回の騒ぎはぜひ静かであってほしい。
そう願っても結局は元に戻ってしまうのがオチなのかもしれないが。
とまあ、そういうわけで、ハルヒの悲鳴によって恐怖のハロウィンが始まってしまったわけなのである。
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