祭の前の騒がしさ

 時候は秋。
 セミのけたたましい鳴き声も消え失せ、バトンタッチとでも言いたげに秋の虫の合唱が町中に木霊していた。その中に微かに聞こえる太鼓の音。それは熟練されたものとは違い、どこか拙い音である。恐らくは青年会などの指導の下に期間限定で作られた小学生に因るものだろう。
 まあこれも今日だからこそだ。響く太鼓の曲は基本の『馬鹿囃子』。
 そう今日は年に一度の秋祭りである。

「こら楓動くな。帯が寄れる」
 住宅街の一角に位置する一軒家。何ら変わりのない容貌でも中の様子は普段とは少し違っていた。
「やあ!お腹が苦しいのお~」
 膝を着いて浴衣の帯を巻こうしている男性の手を煩わせるのは言葉通りの幼さを残す年端もいかない少女。肩までのショートヘアに揃えた猫っ毛が体をくねる度に躍る。
 浴衣は花火模様。季節感は全くもって無視しているが、少女の快活な様子にはよくマッチしていた。
「ん。これでよし。どうだ?」
「む~なんか歩きにくい。」
 不服そうな楓に苦笑しつつ、父-黎は続けた。
「そりゃあいつも軽い服着て走り回ってる楓には動きにくいかもな」
「いいもん、パパに肩車してもらうから」
「・・・決定事項ですか・・・」
 肩を竦めはするが、嫌悪はしていないのは明らかなようで、顔の頬は弛んでいた。
「あっ、楓着せてもらった?」
 ひょっこりと首だけを出して、長女-茉莉が妹に声をかけた。
「うん。でも動きにくいの。歩くときペンギンさんみたいになるの」
「はは、まあいつも動きやすい服しか着てないもんね。」
 と図らずも父と同じことを口にする。本質的に似ているのかも知れない。
「でも似合ってる。さすがお祖父ちゃんだね。しっかり似合うのを送ってきてくれた」
 彼女らが着ている浴衣は子煩悩の黎が買い与えたのではなく彼女らの母方の祖父、いわば黎の義父によって送られてきたものである。-買い与える前に義父に先を越されたと黎は愚痴っていたのはまた別の話。
 話によるとそれらは母とその妹が幼少期に使ったおさがりだという。
 正確には茉莉のが妹ー千晶のもので、楓のが姉-鼎のものである。
「んで、お前は自分で着れたわけ?」
「まあ。でも似合ってるかな?」
「・・・茉莉」
 黎が目つきを替え、急に真面目な顔になった。その目はさながら戦場に赴く戦士の目。所謂、漢の目である。
 自然と空気が張り詰めた。
「浴衣は-」
 茉莉は子煩悩な父のことだから、また家族贔屓がふんだんな世辞を言われるだろうと、密かに肩を竦めた。 
 まあそれでちゃっかり乗ってしまう自分も自分だが。
 そんな娘をよそに父は続ける。
「-世界で最も脱がしやすい服らしい」
「だからなに!?」
「親にこれ以上言わせる気か!?」
「パパの真意が解らない!」
「そうか。パパは悲しい・・・。」
「ああ!ボクのこの怒りはどこに向ければいいんだろう!?」
「南西に」
「リアルの方角は聞いてない!」
 まあまあと黎はグルルと唸りながら、蹴りかかろうとする茉莉を手で制し、ニヤリと笑い、「計画通り」
「はい?」
茉莉が自分の立ち位置を確認して、
「あ」
 父に嵌められと気づいた。彼女が立っていたのは、黎と楓の真ん前。
 うまく誘い出されたようだ。
 嵌められた悔しさよりも、父の真意を見抜けなかった自分の不甲斐なさよりも、今彼女の心を満たすのは不安と恥ずかしさ。浴衣は体の起伏がないほど自然に見える。そういう観点からすれば、一般的よりもやや低い身長はともかく、悔しくも起伏の少ない矮躯は見事に彩られる。
 同時に発育の悪さは彼女のコンプレックスであった。黎は少なからずそのことを理解しているはずだと茉莉は思う。
 片親というのもあったせいか、父に対する嫌悪というのは彼女にはなかったため、洗濯は一緒に するし、黎が干すことも多いから。
 だからこそ年頃の女子として尚更恥ずかしかった。
 顔が自然と下を向く。気がつくと両足の親指を重ね合わせていた。
 そんな娘を目にして黎は苦笑を噛み殺し、立ち上がり
「さてと俺も着替えるか!」
「え?」
 驚愕が茉莉の顔を支配した。黎は普段祭りには普段着で行っていたはずであるから。本人曰わく浴衣が似合わないからだそうだ。
 以前嫁姉妹に吹き出されたらしく、見事に服に着られたという過去があった。
 黎は快活に笑いながら「一人普段着じゃ浮くだろ」と早口で言った。明らかな照れ隠し。自分に対する周りの目など気にせず、浮くことなど日常的である人間が口にする言葉とは思えなかった。
 茉莉はその本意を悟ったのか、クスリと吹き出した。
 父が少し不服そうに、何だよ、と口にするものだから新鮮で再び吹き出してしまう。
「やっぱ似合わないだろうな。やめっかな?」止める気などさらさらないハズなのにそう嘯く。
 茉莉は今度は、「ううん。それがいいと思う!」快活に笑った。
 澄んだ笛の音がどこからか聞こえた気がした。

  • 最終更新:2009-12-31 08:52:00

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