1/世界の始まり


 まどろみの中、冬の朝の息吹を感じながら一輝葉は目覚めた。

「あぁ~あ、またこんな時間に起きちまったよ」

 誰に聞かせるでもなくそんな独白言を呟き、携帯電話の時間を眠り眼で確認した後、
蒲団の中で寝返りをうった。

 冬の朝は蒲団の中が恋しい季節だ。自分の体温で暖められた蒲団の温もりは、夏の
朝の(朝に限らないが)10倍以上は寝心地がいいと自分では思っている。その蒲団の
中で体を丸まらせ、もう一度寝直そうと心がけてみた。

 しかし自慢ではないが自分は一度覚醒(おきて)しまうと寝られない体質だ。
昔から定期的な時間帯で一日を過ごしてきたせいか体が起きる時間を覚えてしまって
いるようで、早く寝ようが遅く寝ようが、大体の時間帯で今日(いま)のように起きてしまう。

 いつだったかとある友人にこの事を話した事があるのだが、希有の極みだとかで絶賛し
ているのかなんだか分からない褒め言葉をくれたものだ。

 たしかに決まった時間帯に起きるという事は、必然的に目覚しが要らなくなり良い点とも
言えるだろう。しかし、本人にとってはその決まった時間に自動的に起きてしまう訳なので
早く寝てしまった分には文句はないが、寝たのがほんの少し前というのでは話しは全く違う。

 昨日も(正確には今日だが)遅くまで好きな文庫物を読んでいたのだが、性分なのか
自分の好きな物事には集中してしまいがちになり、気が付いたら2,3時間があっという間
に過ぎていたなんて事は常だ。

 それが今回も適応されたのか、日付が今日になる一歩手前から読み始めたら、読みかけ
の文庫であったためまだ物語の序盤も序盤、まだ数頁で閉じていたにも関わらず、有に
4、5百頁はあろうかという文庫を、よほど集中していたのかそれとも興奮して止められなく
なったのか、その日のうちに読破してしまったのだ。

 今日の午前中は講義が無いため夜更かししても大丈夫だ、だったら読んでしまおう、
そんな風に思い今日は昼頃まで寝過ごせるつもりが、こんな世間一般の会社員が出勤する
時間に朝を迎えてしまった。結果睡眠不足は当たり前、本を読んでいたせいか軽い偏頭痛、
これらの症状があるため寝なおすには絶好のコンディションなのだが、、、、

「――――――。」

 人は寝るという行為のための努力は必要としない。
睡眠が必要な体は自然と眠るものであるし、頭もそれを必要として睡眠に陥る。

 だがしかし睡眠不足であるのに関わらずいつまで経っても夢の世界へは踏み出せないで
いた。無駄な努力と分かりつつも今の自分にはその睡眠が必要不可欠であると判断し意地
でも寝てやるという気持ちでいたが、最早正常に機能してらしい頭と体は睡眠を必要としない
のか、舟を漕ぐことなくただただ寝転ぶ事しかできなかった。

「…ふぅ」

 ため息をつきこんな時間に起きてもしょうがないと思いつつ、しぶしぶながら温もり在る
蒲団の誘惑を剥いで起床した。


          ◇


 ここは都坂市真桐町と呼ばれる都心から20kmは離れた町で、その歴史は中々に古く、
神秘に溢れ、かつ由緒正しき町である。この町には「箱舟」の異名をもつ大空洞
(巨大な大空洞で中は綺麗に四角形で型取れたように出来ているが用途は不明)や、
「霧ノ丘」と呼ばれる丘では、名前の由来通り、濃い霧がこの辺り一帯(朝と夜に限るが)
高い頻度で発生する。

 またその中心には「白恋湖」と呼ばれる、霧の中湖が神秘的な存在を醸し出し、満月の
夜にはある伝説を信じ恋人達が訪れるほどムード満載な場所がある。

 一輝葉は都坂市立の凛丞大学に通う3年生で、この真桐町の丘にある住宅街から少し
離れた、「厘樹海」と呼ばれる深い森の一歩手前にある、住民が何百人しか住んでいない
少し拓けた場所、町とは名ばかりの「千夏町」に住んでいる。

 元は丘の中心にある住宅街に住んでいたが13年前に事故で父を亡くし、母と2人町から
離れたこの丘の外れに移り住んできた。


 母は父を亡くした当時、自分の半身を無くしたかのごとく弱りきってしまい、幼いながらも
それを不憫に思った自分は父を亡くしたこの町から離れようと考え、母と2人今のこの
千夏町に移り住んできた。~

 移り住んで数年で母の心と体は安定したが、自分を育てるため必死に仕事をやりくりした
ためか、それとも父を失ったショックのためか、心臓を患っていた母は急激に病が悪化し、
今から5年前に父の後を追うように逝ってしまった。

 今になって思う。両親はお互いを信頼し、助け合い、自分の運命を共に出来る相手だった。
だからこそ母は父を亡くしたためにあんなにも弱くなってしまったのだと。

 当時はそんな事で、と軽く考えていたため、住む家を変え、気分を変えればまた元気を
取り戻すと考えた。しかし、それは甘い考えだった。いくら環境を変えようと、いくら気分を
変えようと、父は帰ってくるはずもなく、ただただ悲しい記憶だけが残るだけだと。

 しかし、厭な事だけではない。実際に母は元気を取り戻し、前以上に精力的に動くように
なっていった。それが仇となったために死んでしまったが、逆に良かったと自分では思っている。

 たしかに両親がいないという境遇は当時寂しいと感じさせるものだったが、母は無理に生きて
いたという感じがしていたため、父と同じ世界に旅立つ事が出来て幸せだったと今では考えている。
周囲から見ればそれは正常に見えたかも知れないが、息子である自分から見ると母は弱りきって
おり、父という存在がそれほどまでに大きかったのだろうと痛感した。

 自分は不幸ではない。たしかに今は両親がいないが、あの両親の間に生まれた自分は幸せ
であり、かつ今の境遇にも不満はないからだ。今の生活にも不自由はないし、学生という身分も
捨てずにいられている。蓄えはキチンと残されていたため、全部が全部とまではいかないが
両親には感謝の言葉も無いと今でも思っている




 テレビをつけながら朝食を食べ終え、食後のコーヒーを飲みながらも両親の事を思ってしまった。
こんな朝は今のように昔の事を思い出す。こんなにも思い出すのは稀だが悪い気はしないので
それほど落ち込むわけでもなく、ただただぼんやりと物思いに耽っていた。

「…今日未明、真桐町の白恋湖で女性の死体が発見されました。」

 そんなテレビのアナウンサーからの音声を聞き現実へと引き戻された。
詳しくニュースを聞いてみると「またか」とつい思ってしまった。丘にある湖で女性の変死体が発見
されたという。女性はまだ若く高校生だというが、死体には特に目立った外傷もなく、他殺とは
思えないほど綺麗だったという。しかし自殺とも思える状況でもなく、分かっている事はただ眠って
いるかのように女性が死んでいる、という事だけであった。

「これでもう3人目か」

 思わずそんな事を呟いた。この事件については初めて報道されるものではない。この一ヶ月余り
もの間に他にも2人の遺体が発見されており、共に状況も似たようなもので、被害者は女性のみ、
そして原因不明な死に方まで同じだという奇妙な事件である。

 ただ一つ異なっているのが、被害者が発見された場所で、1人目は湖までの遊歩道、2人目は
湖にあるロッジのベンチ、そして今回は湖のほとりで発見されている。どれも湖という位置的には
同じだが違う場所、そして奇妙な死に方であるため、「謎の女性昏睡事件」として最近のニュース
ではこの話題で持ちきりだった。

 この時自分の中でこの事件は、些細な日常に組み込まれた単なる一つ事柄として受け止めていた。
だってそうだろう、世の中には事件事故は日常茶飯事であり、その一つ一つに苛立ちを覚えたり感じ
たりはするが、やはりそれは言うなれば他人事なのである。現に自分の町の身近な場所で起こった
事件だとしても、気をつけようかなどと少し警戒する程度でしかない。

 そんな思考を持っているせいかこの世界は夢(フィクション)なのだと、ついそう思ってしまう。
自分に対しての干渉が無い限りは、そんな事は現実(ノンフィクション)でないと錯覚する。
言うなれば物語の中の単なる一頁に過ぎない、と。

 そんなものは馬鹿げた考えだと自分でも十分理解はしているし、今時の小学生でもこのような
考えはしないだろう。だがそう思ってしまうのだ。自分が以前遭ってしまった事故のために
無意識下でそんな考えを持つようになってしまった。

 世界を冷たい眼で見つめている自分も物語の一部でしかなく、この世界の中では自分は
「夢の中」にでもいるような感覚で見つめ、それをまた見つめている傍観者になっているのだと。

 そんな感覚を持った葉は、このとき今朝のこの事件の関係を持つことになるとは思いもせず、
ただぼんやりと今朝の天気予報を聞いていた。


          ◇


 自宅から大学までの道のりはこれが結構あるもので、駅で言うと3,4駅は軽くある。
電車に換算すると大体2,30分近くはかかるし、徒歩で通うとなると小一時間は歩かされる。

 当初は自転車で大学まで通っていたのだが、諸所の都合により現在のように徒歩での通学になった。
徒歩通学での始めの頃は通学するだけで疲労困憊になり、大学で何をやるにしても億劫になりがちだった。
そのためか午前中を回復にまわし、午後でやっと本領発揮というケースが多かったのを覚えている。

 しかし人間というのは怖いもので、一度慣れてしまうとかえってそれが当たり前の事になってしまう。
むしろ徒歩で歩く事の有意義さを認めるようになり、心身ともにいい運動になることが分かった。

 最近では起きた時間がいつもより早い場合は丘に在る湖に寄り道をし、遊歩道の休憩所で惰眠を
貪るかのごとく(睡眠はとらないが)ベンチや草っ原で横になり自然の空間を楽しむ事を覚えるまでになった。

 丘からその先は住宅街が続き、段段とここは街中なのだと痛感するほど建物が犇めき合っている。
またこの町は交通面も充実しているので、普通の学生はここから出発することになるだろう。

 そうして住宅街を抜け程なく歩くと、学生という身分での仕事場でも在る、我が学び舎である
学校へと行き着くのである。


 ………

 ……

 …


「おはよ」

 大学への通学路の途中、住宅街を抜けた頃そんな言葉をかけられ、ふと知った口調であったため振り返った。

「なんだ智子か」

 思わずそんな憎まれ口を叩いてしまった。もちろん半分本当で半分は嘘である。

「なんだとはご挨拶ね。女の子に挨拶してもらえてるんだから感謝してよね」

 横に並び、微笑みながら彼女はそう言った。

 そう隣で話しかける彼女の名は宇崎智子。友人であり幼馴染。小さい頃から一緒にいたためか、
今のように気軽に声をかけてくる。お転婆で口喧しいが、まぁ可愛い所も在ると思う。
(口が裂けてもそんな事は言わないが)

 彼女の住んでいる所は、自分と同じ丘の住宅街ではなく、丘の麓に在る神保町に住んでいる。
そのため大学までは電車、バスという交通手段を使えばほぼ直通で行ける筈なのだが、
既得にもなぜか自分と同じ徒歩で通学している(以前この疑問をぶつけたところ笑って誤魔化していた)。

 彼女の両親にも小さい頃からお世話になっていて、(うちの両親と昔からの友人だったらしく今では
親同然という間柄)自分の境遇を理解してくれよく夕飯などでお呼ばれにかかったりする。
なんとも気さくな感じの人達で、両親のいない自分としては喜ばしい限りである。

「なに、なんか私おかしい?」~

 無意識に彼女の顔を見ながら夢想に耽っていたためか、智子は慌てて髪を撫でながらそんな事を言う。

「あぁ、いつもと変わらない顔だなぁと思ってたとこ」

 彼女にそう言うと、どーせ変わりませんよとプリプリと鳴るほど小さく怒っていた。


 …


「もうすぐ冬休みだね。葉は何か予定でも立ててるの?」

 キャンパスを間近に見据えた頃、智子はそんな質問をしてきた。

「…なんでそんな事聞くんだ?」

「いいでしょ別に。そんなことより質問に答えてよ」

 厭でも質問に答えてもらいたいらしく、智子は興味津々な顔で答えを待っていた。

「………。」

 これといって予定は無いがそんな質問をされてしまったため思わず考えてしまった。

 すぐにでも結論を出すなら予定は全く無いと言えるだろう。しかし、そんな無計画で良いのかとも
思ってしまう。されども旅行するとしても誰とどこへ行くかなんてすぐには思いつくものでもないし、
そもそも休みに旅行をするという事自体考えていなかった。

 よって、何も無いと正直に言うのは癪だがこの際致し方ない。

「何もないな。これといってどこか行きたいなんて思わないし。しいて言えば温泉に行きたいかな」

 質問に答えながら突発的に出た案は意外にいいかもと頭では考えていた。

 実のところ自分は温泉に少々のこだわりが在る。地平線を見渡せる温泉、緑に溢れた森林浴、
雪を見ながら温泉に入るなんて事もオツである。

「あははっ。何それ親父くさいよ。今時行きたいのが温泉だなんてサ」

 笑いながら苦しそうに智子がそんな失礼なことを言う。

「む、いいだろそんな事。じゃあお前はどうなんだよ。人に聞くぐらいなんだからどっか行くんだろ?」

「えっ、別にそんな事ないけど…」

 智子は笑い顔から消沈し、そう答えながらこちらの顔をチラチラと覗ってくる。

「ナンだよそりゃ。人に聞くぐらいなのに何もないのかよ」

「なによ、いいでしょ別に。ちょっと気になっただけよ」

「へぇーそーですか。ちょっと気になっただけねぇ」

「っ、ちょっと真似しないでよ!」

「いえいえ。滅相も御座いません。君の真似をするだなんて致しませんよ」

「何よその言い方!」

「ナンだよ!」

 もう大学を目の前かという所で痴話喧嘩。ついつい悪乗りしてこんな状態になってしまった。
これでは小学生並ではないかと頭の隅で思っていた。

「もういい!勝手にして!」

 悪ふざけが過ぎたか智子は怒って先に行ってしまった。その時になって漸く自分が人通りの
激しい往来で騒いでいた事に気づき一人佇んでいた。

「ナンだよ。んな事で怒んなよな」

 誰に聞かせるでもなくそう一人愚痴り、ほどなくしてから自分も智子が入っていったキャンパスへ
足を踏み込んだ。




次節  2/日常





  • 最終更新:2011-12-10 19:58:14

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