3-4 秘密と約束

 きっかけはちょっとした会話から。
 そこからの派生。
 彼女を家に呼ぶというドキドキの青春タイム。
 しかも今日は文月さんは元より、いちごさんもりんごもいない。
 必然的にこの家には僕一人。
 ふと、メジロさんの肌の感触、髪の匂いを思い出す。
 自然に顔が熱くなる。
 っていやいや、何を期待してるんだ僕は。
 落ち着かず、何度も部屋を掃除機掛けしてしまう。
 そうこうしている内に玄関先でチャイムの音が鳴る。


「ここが綾瀬君の部屋かぁ~」
 物珍しげに今の僕の部屋を見回すメジロさん。
 きっちり掃除したと思うけど、何処か乱雑になっていやしないか不安になる。
「お茶持ってくるね」
 普段自分の過ごしている空間をまじまじと観察されるということに気恥ずかしさを覚え、彼女を部屋に残し、既に勝手知ったる台所へ。

 玄米茶とお茶請けを乗せたお盆を持って部屋に戻る。
 と、棚や押入れを漁るメジロさんの姿。
「……何してるの、メジロさん?」
 僕の冷ややかな視線を受け、慌てて居住まいを正すメジロさん。
 いやいや遅いから。
「べ、別にエッチな本探してるとかじゃないよ?綾瀬君のこともっと知りたくて、昔のアルバムとか卒業アルバムとか出てこないかな~って」
 彼氏の部屋でエロ本を探す彼女の典型パターンじゃないですか…


 ソワソワソワ。
 お互い向かい合って座るものの、こう、なんていうか、ね。
 この一つ屋根の下に彼氏彼女の二人だけの空間っていう。
 何とも気まず恥ずかしい感じが、ね
 世間一般の恋人同士は彼氏もしくは彼女の部屋でお互い何をして過ごすのか、と。
 いや、エロいこと以外でさ。
 ゲームとか?
 そもそも、自分の部屋に友達を招いたという記憶すら今の僕には無いわけで。

「えっと、お茶のお代わり持ってくるね」
 この気恥ずかしい空気に耐えられず何度も台所と往復してしまう。
「あっ、あたしも手伝うっ」
 急に立ち上がったメジロさんはさっきまで正座。
 つまりは足がしびれていたわけで
「って、うわぁああ!」
 出た!メジロさんの何故こうなる的なミラクルうっかり。
 迫るメジロさんの顔。
 そして
「いたたたた…」
 メジロさんに床へ押し倒される形になる。
 普通は男女逆なのではないかとも思うのだけれど、これはこれで役得かもしれない。
 重なり合う二つの影。
 キスでもしそうなくらい至近距離から見つめ合う。
 自然と唇が近づいていき…
 と、見開かれるメジロさんの瞳。
 何かに驚いている。
「綾瀬君…その傷…」
「…あ…」
 いつも前髪で隠している額の傷を慌てて隠す。
 そのとっさの行動に、メジロさんも触れて良いことなのか戸惑っている。
 いずれは言わなければいけなかったこと。
 ずっとは隠しておけなかったこと。
 でも、僕の秘密をメジロさんが知って、もし彼女の僕を見る目が変わってしまったら…
 それが怖くて言い出せなかったこと。
「昔ね、事故に遭ったみたいなんだ」
「みたい、って…」
 でも、やっぱり…
 大切な人にだから知っていてほしい。
 今まで僕が皆に黙っていたこと。
 僕の秘密。
 それは、
「僕には、過去の記憶が無いんだ」



 かつて僕は事故に遭った、らしい。
 らしい、というのは事故に遭ったという実感すら無いから。
 大きな事故だったらしいのだけれど、幸いにして頭に軽い怪我を負っただけで、脳や他の身体に後遺症が残ることも無く奇跡的に五体満足だった。
 記憶を除いては。
 目覚めた時、僕は自分が誰なのか、僕を取り巻く人のこと、全てを忘れていた。
 事故の直後、色々な人がお見舞いに来てくれた。
 きっと何度も足を運んでくれた人もいたのだろう。
 でも、記憶を失ったばかりの頃は、自分が何者なのかも一切わからなくて、不安でしかたなくて、何故自分が生きているのかさえわからなくて。
 僕自身でさえ自分のことが何一つわからないのに、お見舞いに来てくれた人は僕の知らない僕のことを知っていて。
 何だか、それがとても怖くて仕方が無くて。
 心を閉ざしたりもしていた。
 だから…
 その頃折角僕に会いに来てくれた人のことも、一体誰が会いに来てくれたのかもさえ覚えていない。

 その後、僕は両親と共にこの街を離れた。
 ここは僕の居場所ではないのではないかと思ったから。
 僕の知らない僕がいた、この街にいるのが怖かったから。
 僕は自分の過去から逃げ出したんだ。



「…どうしてメジロさんが泣いてるの…?」
 僕の話を黙って聞いていたメジロさんの瞳には、涙が浮かんでいた。
「…ごめんなさい…綾瀬君がそんな辛い想いをしてたなんて、全然知らなくて…あたし、前に無神経なことを言っちゃったりもして……」
「ううん、僕の方こそ。本当のことを話したらメジロさんに嫌われるんじゃないかって、今まで言い出せなくて」
「嫌いになんてなるはずがないっ!!」
 叫ぶメジロさん。
 その瞳は真っ直ぐに僕の目を見ている。
「そんな辛い思いをしていて、それでも自分のことは後回しにして、人の為に一生懸命になれる。そんな綾瀬君だからあたしは好きになった。例え昔の記憶が無くても綾瀬君はあたしの大好きな綾瀬君だよっ!!」
 怖くて伝えられなかったこと。
 知られてしまえば嫌われてしまうかもと恐れ、言い出せなかったこと。
 だけど、彼女はそんな僕でも受け入れてくれた。
 どんな僕でも大好きだと言ってくれる。
 そんな彼女の言葉が嬉しくて。
「ありがとう…」



 あれから月日が経って。
 僕は漸く自分に向き合うことが出来るようになった。
 いや、向き合わなければならないと思ったんだ。
 自分が自分ではないような感覚。
 虚ろだった毎日。
 そんな日々を過ごしていく内に、僕はかつての自分を取り戻したいと思うようになった。
 そんな時舞い込んできた父の転勤の話。
 示された選択肢。
 新たな地で新たな人生を歩むか、それともかつての自分がいた街へ戻るか。



「じゃあ、綾瀬君がこの街に帰って来た理由って…」
「両親が海外出張で、叔母さんの家に厄介になるためってのは本当だよ。確かに両親と一緒に行くことも出来た。でも、この街に無くしたものの手がかりがあると思ったから」
 かつて過ごした街。
 記憶を取り戻すためにはこれ以上ない場所。
 でもそれだけじゃない。
 確かに記憶を取り戻したいと思えるようになってきた。
 でも、それだけじゃなくて。
「僕がこの街に帰ってきたもう一つの理由は…」
 失ってしまった遠い日の記憶。
 その中にどうしても引っかかっていたもの。
 どうしても果たさなくてはならないと感じ続けていたもの。
「約束が、あったような気がするんだ…」


 中学の卒業アルバムを何度も見返して、かつての繋がりを思い出そうとした。
 この街に帰ってきてから、かつて見たであろう風景を目にするたびに感じた不安。
 思い出があるはずの場所を見ても、懐かしいとも思えなかった今の自分。
 断片的に過去の記憶を垣間見ることはあっても記憶が戻ることは無かった。
 ずっと引っかかり続けていた 誰か との約束。
 でも、今更それを果たすことが出来ないというのはなんとなくわかっていた。
 だから…
「もういいんだ」

 無くしたものはもう見つけ出すことは出来ないのかもしれない。
 失ったものはもう取り戻せないのかもしれない。
 でも、僕が今の僕を受け入れれば…
 今、この瞬間瞬間が幸せならば…

「綾瀬君は、それで良いの…?記憶が、昔の思い出が無いままで」
 楽しいことも辛いことも、何もかも全てを失い、無かったことになって。
 取り戻したいと思わないわけではない。
 できることなら失ったものを取り戻したい。
 でも、それがもし叶わないのなら。
「運命ってのはさ、人の手ではどうにもならないから運命なんだと思う」
 僕が全てを失ったのも。
 この街に戻ってくることになったのも。
 そして、メジロさんに出逢ったのも。
「そんなの哀しすぎるよ…綾瀬君が記憶喪失になるのが運命だったなんて。思い出すことができないのが運命だなんて…」
「でもさ」
 悲しそうに俯くメジロさんに告げる。
「未来は自分の手で選ぶものだと思うんだ」
 ハッとしたように顔を上げ、僕を見つめる。
「もしかしたらこの先も記憶が戻ることはないのかもしれない。でも、これからの思い出は作っていける。僕はこれからの思い出をメジロさんと一緒に作っていきたい」
「綾瀬君…」


 僕はもう二度と大切なものを失わないために。
 ずっと大切な人を守り、共に歩き続けていきたいから。
 だから…
「僕はずっとメジロさんの側に居るよ」

『僕はずっと   の側に居るよ』

 ふと、脳裏をよぎった言葉。
 かつて、有り日の僕が告げた言葉。
 この言葉はいったい誰に対して言った言葉だったんだろう…
 遠い日の約束。
 戻らない日々。
 けれども、僕は今がとても幸せだから。
 メジロさんと重ねた肌の暖かさを思い出す。
 今の僕の居場所。
 それは大好きな人の隣で。
 僕はこれからもこの場所で、大好きな人と共に歩んでいくんだ


       ***


 メジロさんに僕の秘密を打ち明けて。
 以前にもましてメジロさんとの距離が縮んだような気がする。
 失ったものと手に入れたもの。
 今まではずっと同じ場所で足踏みをしているような感覚だった。
 それでも、一歩ずつ着実に前へと歩み出していたんだ。
 そうも思えてくる。
「もうすぐバレンタインだね」
 この間のメジロさんとの会話を思い出す。
「ふふっ、期待しててね」
 あの時のメジロさんの笑顔を思い浮かべると思わず顔がにやけてしまう。
 そんな下校時。

 校門前に一つの影。
 あれは…
「恋花…?」
 そこには恋花の姿。
「こんな所までどうしたの?もしかして僕を待ってた、とか?」
 恋花のこの学校の知り合いといったら僕くらいだし。
 ふと、視界の端に道端の花が映りこむ。
 蒼く儚く咲く花、露草。
 普通はこんな時期には咲かない。季節外れで、他の仲間なんているはずもないのに、そんな天邪鬼な花は一輪、寂しげに咲いていた。
 忘れ去られたように孤独に。
 その名の通り、朝露のように儚く。
 何故だか、それが心に引っ掛かった。

 そんな僕の顔を一瞥し、恋花は溜め息を吐きながら苛立たしげに告げる。
「あんたを見てるとイライラすんのよ」



  • 最終更新:2016-04-15 23:14:27

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