3-5 ニシアライアヤセという人

 台所から聞こえてくるいちごさんの鼻歌。
「あっ、あや君おかえりなさ~い」
 帰宅した僕に気付き、いつもの笑顔で迎えてくれる。
「ただいま。…いちごさん、何作ってるんですか?」
 何か甘い匂いがしているけど。
「ふふっ、明日の準備で女の子は大変なのよ♪」
 明日…ああ。
 納得。
 明日は2月14日。バレンタインだ。
 今でもラブラブカップルって感じのいちごさんと文月さん。
 どうやら文月さんの為にチョコレートを使ったお菓子を作っているみたいだ。
「お菓子作りはスーちゃんの方が得意なんだけどね~」
 スーちゃんってのはいちごさんの友達らしい。
「ねぇ、まま~。ばれんたいんってなに~?」
 いちごさんの服を引っ張りながらりんごが訊ねる。
「バレンタインっていうのは女の子にとっての一大イベントなのよぉ」
 スプーンにチョコレートを盛り、りんごに分け与えながら説明するいちごさん。
「まぁ、男の子も気が気じゃないだろうけど」
 ちらっと僕の顔を見てニヤニヤ微笑む。
「あや君は大丈夫そうだよね~」
 ううん、恥ずかしい。

「あ、そうだ」
 思い出したかのようにいちごさんが言う。
「えっと…あった、これこれ」
 エプロンで手を拭きながらリビングに入ってきたいちごさんが棚の上から一枚の写真を取りだす。
「部屋の掃除してたら出てきたんだ~」
 そう言いながら僕に渡してきたのは一枚の写真。
「あたしが学生の時、こっちに来ててあや君達と撮った写真だよ。昔のこと、何か思い出す手掛かりになればって思って」
 撮影場所は近くの公園。
 写っていたのは雪景色。
 一面の白い世界に男の子と女の子が遊んでいる。
 男の子は…子供の頃の僕?
 そして一緒に遊んでいる女の子は子供の頃の友達だろうか。
「……この子は…」
「ちょこまかとして、写真に写りたがらないから一緒に映るの苦労したんだ~。名前は…えっと…何て言ったっけ?」
 う~ん…と唸りながら頭をひねるいちごさん。
「これ、貰っていいですか?」
「うん?いいよ」
 この子、とても懐かしい顔。
 最近もどこかで出会ったそんな親近感。
 あとちょっと、何かきっかけがあれば……
「あやおにいちゃんあそんでよー」
 りんごが今度は僕の服の裾を引っ張ってくる。
「え、あ、うん」
 学生服のポケットに写真をしまう。


『あんたを見てるとイライラすんのよ』
 りんごと遊びながらも思い出すのは恋花との会話。

   ***

「あんたが誰と付き合おうと、それは今のあんたの自由だ。あんたが今を幸せに感じているのなら願っても無い事だ。わたしがとやかく言う権利なんてない」
 僕は記憶を失ってから、やっとの思いで今の幸せを手に入れた。それ自体は喜ばしいことだと、応援してくれるのだという。でも…
「でも、あんたがそれを言い訳にして、思い出すのを放棄したっていうのなら、わたしはあんたを許さない」
 その目に映るのは失望。
「昔のあんたならこんなことは絶対に無かった。あんたは、あんたが一番大切にしていたものを裏切ったんだ」
 裏切り。
 恋花はそう言う。
 僕はかつての思い出を取り戻せずにいた。
 大切だったはずの思い出たち。
 それを無くしてしまった今の僕はかつての僕とは違う人間なのだろうか。
 昔の僕は大切なものを諦めたりはしなかった。
 じゃあ、今の僕はかつての僕と別の人間だからこそ裏切り者なのだろうか。
「あんた見てるとイライラする。無くしたものを取り戻すの諦めたって感じで」
「そんなこと…」
 無い、とは言えなかった。
 僕は、今がとても幸せで。
 たとえ、かつての思い出が戻らないとしても、こんな時間がいつまでも続けばいいと思っていた。
「あんたは大切な、一番大事にしていたものを放り出したんだ」
「一番、大切なもの…?」
「わたしから言っても意味が無い。そもそも、無駄だったしね。あんたが自力で取り戻さないといけないんだ」
「一体、何を…」
 何となくわかっていた。
 ずっと心に引っ掛かっていたもの。
 頭の片隅によぎる姿。
 それは確かに大切なものだったはずだ。
 でも、それがなんだったのか思い出せない。
「露草」
「…え?」
 道端に咲いた露草を見ながら恋花は言う。
「露草の花言葉」
「花…言葉?」
 一体、恋花は何を言っている…?
「ヒントはこれくらい。あとはあんたの勝手にすればいい」
 そう言いながら、僕に背を向け去っていく恋花。
 ヒント、というものだけ残して。

   ***

 バレンタインデー当日。
 生徒会室。
 思わぬ人からチョコレートを貰ってしまった。
「ほい、西新井君。バレンタインのチョコレート。っていっても、西新井君はメジロから本命を貰うからいらないとは思うけどね」
「あ、うん。ありがと」
「何ぃ?何か意外って顔してるね。私からのチョコレートってのはそんなに意外だった?」
 僕の顔を覗き込みながら意地悪そうな顔を向けてくる五日市さん。
「え、ううん、そんなことないよ。普通に嬉しいし、ホントありがと」
「どーいたしまして」
 にっこりと微笑む。
 なんだか五日市さんには良いように振り回されるような感じだ。
「ほぉれ、和子も」
 傍でいつものようにゲームをしている樹さんの背後から近づきくすぐりだす。
「あ~、もうっ、鬱陶しぃな。渡せばいいんだろ、渡せば」
 ぶつくさ文句を言いながらも鞄から包みを取り出す樹さん。
「ほい、まぁ、義理だけどな」
「あ、ありがと」
 そっぽを向きながらも、恥ずかしそうにちょっと頬を染めながら僕にチョコレートを手渡してくれる樹さん。
 自分のキャラじゃないからとか、そんな感じで照れてるんだろう、多分。
「で、本命チョコはいつ貰うんだい?それとももう貰ってるのかな?」
 五日市さんがからかい交じりに訊いてくる。
 今、生徒会室には僕と五日市さん、そして樹さんの三人だけ。
 会長と八王子君は別の雑務で出ているし、メジロさんはまた別件だ。
「あ、うん、まぁこの後会う約束をしてるんだけどね…」
 ちょっと照れる。
 好きな人と迎えるバレンタイン。
 これほど嬉しいものは無いかもしれない。
 …でも
 やっぱり気になるのは恋花の言葉。

『でも、あんたがそれを言い訳にして、思い出すのを放棄したっていうのなら、わたしはあんたを許さない』

僕は本当に今のままでいいのか…

「で、話を変えて、西新井君は今、何か悩みでもあるのかな?」
 顔に出ていたのか。
 っていうか、僕はそんなにわかりやすいのか。
 五日市さんがそう僕に問うてくる。
「何か悩みがあるんなら相談に乗るよ?」
「…うん」
 でも、これは僕自身の問題。
 五日市さん達に話すのもお門違いだ。
「別に大したことじゃないから気にしないで」
 そう、誤魔化したんだけど
「はぁ…あのねぇ」
 溜息を吐きつつ、真面目な顔で僕の目を覗き込んでくる。
「私の問題の時、平気で首を突っ込んできたのは何処の誰?誰かの為に必死になるのは何処の誰?」
 ジト目で僕の額を指で突く。
「ま、ウチらがそんなに頼りないってんなら話は別だけどねぃ」
 そんな五日市さんに付随して樹さんもからかい調子で言ってくる。
「…ごめん」
 やっぱり心のどこかで気が引けていたのかもしれない。
 もし、記憶のことを知られたら、と。
 今までのように接してくれなくなるんじゃないか、と。
 でも、それは彼女たちを信じていないからってことで。
 かけがえのない仲間達だからこそ本当のことを打ち明けなくてはいけない。
 今僕が抱えている問題を打ち明けることで何かが動き出すのかもしれない。

 以前、メジロさんに話したこと。
 僕の記憶のことを話す。
 そして先日の恋花との会話のことも。

「僕は今が幸せならばかつての記憶が戻らなくてもいいと思い始めている。でも昔の僕なら絶対そんなことは無い。どうしても記憶を取り戻そうとするんじゃないかって」
 無くしたものがかけがえのないものだったとしたらなおさら。
「きっと、今の僕と昔の僕、考え方もモノの好みも何もかもが違うんだ。それは僕と言えるのかな?今の僕は偽物なんじゃないかなって」
 恋花の言いたかったこと。
 僕はもうあの頃の僕ではない。
 そして今の僕が記憶を取り戻すことを諦めたら、あの頃の僕は完全に消えてしまうということで…

「何か、相変わらずくだらないことで悩んでるんだね、君は」
「別に、今のあややのままでいいんじゃねぇの?」
 そんな僕にバッサリと一言そう告げる五日市さんと樹さん。
「あの頃の自分が消える?当然だ。人は常に変わり続けてるんだから。昔の自分と今の自分、違うに決まってんじゃん」
 こともなげにそう言い切る樹さん。
「趣味も考え方も物の好き嫌いも何もかも、昔と同じなんてアリエナイアリエナイ。人の性格や人格だってそうだよ」
「そうそう、私だって今でこそこんなんだけど、昔はお淑やかなお嬢様だったんだから」
「いや、それは嘘でしょ青梅っち」
「いやいやいや、意外とそうでもないのだよ。花言葉とか結構詳しかったりするし。例えば梅の花言葉は『高潔』、『潔白』、『澄んだ心』、『忠義』とかね」
 戯れるように告げる五日市さん。
 その花言葉はまさに五日市さんらしい花言葉で。
「話が逸れたけど、私に言えることはただ一つ。かつての記憶を取り戻そうが取り戻すまいが、君が君であることには変わりない。今君が思っていること、君の想い、それらは全て西新井綾瀬という人のモノなんだよ」
 記憶を取り戻せなくて焦っている気持ちも。
 取り戻せなくてもいいと思い始めていることも。
 メジロさんを想う気持ちも。
 それらは全て西新井綾瀬という一人の人間のものなんだ、と。
「例え何があったにせよ、今の君が西新井綾瀬なんだから」
 記憶が有ろうが無かろうが、僕が西新井綾瀬であることには変わらないのだ、と。
「ありがとう、二人とも」
 僕の記憶が戻らないのには変わりはない。
 けれども二人の言葉で今の自分に自信が持てるような気がしてきた。
 僕が僕であること。
 例えかつての僕が今の僕と違うのだとしても、僕であることには変わらないのだと。

「そういえば、露草の花言葉ってなにか知ってます?」
 ふと、恋花の言葉を思い出し五日市さんに尋ねる。
 それが何のヒントになるのかはわからないけれど…
「露草?まぁ花言葉は色々な種類があるけど…露草の花言葉は『変わらぬ思い』『密かな恋』『敬われぬ愛』とか色々あるけど一番代表的なのは『懐かしい関係』だったかな」

露草。
懐かしい関係…
幼い頃の関係…
かけがえのない…
「…っ!」
 はっとしてポケットを探る。
 ポケットの中にはいちごさんから貰った写真。
 そこに映っていた少女。
 幼い頃、一緒に遊んだだけの友達かと思っていたけれど…
「『恋の心変わり』なんてものあったかな」
 笑いながらそうこぼす青梅さんの言葉ももう耳には入らない。

 そうだ…
 僕には大切な女の子がいた。
 記憶の中の少女。
 それがいったい誰なのか。
 それはまだわからない。
 でも…
『待ってるから』
 脳裏をよぎった言葉。
 僕は行かなくちゃいけない。
 約束の場所へ。
 あの丘へ。
 果たせなかった約束を守るために。

「って、ちょっと西新井君?」
 呼び止める声も耳には入らない。
 無我夢中になり生徒会室を飛び出す。
 扉の傍にはメジロさんの姿。
「綾瀬君…」
 僕達の会話を聞いていたのか、何か言いたげな顔だ。
 今の僕の気持ちは本物だ。
 僕は僕でしかないのだからメジロさんを好きな気持ちは本物のはずだ。
 メジロさんの傍にいてあげなくてはいけない。
 そう思う。
 でも…
「ごめん…!」
 僕は駆けだす。
 彼女の元へ辿り着くために。
「待ってるから…」
 背中に掛けられる言葉。
 大切な人から告げられるあの時と同じ言葉。


 駆ける。
 失ったモノを取り戻すために。
 あの日果たすはずだった約束を守るために。
 あの時の気持ちを取り戻すために。



  • 最終更新:2016-04-28 23:18:50

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