3-7 二人の想い

 僕には好きな女の子がいた。
 その子は不器用で、無愛想で、でも本当は人より感情表現が苦手なだけな、恥ずかしがり屋な女の子だったんだ。





 じりりりりり

 部屋に目覚ましの音が鳴り響く。
 しかし部屋の主は目を覚まさない。
 朝、学校へ行く前の待ち合わせなんかはしない。
 だって、彼女は絶対に間に合わないから。
「ぐぅ…」
「お~い、起きろよ~」
 寝坊助な彼女を起こすのはいつもの僕の日課だった。
 これがなかなかの大仕事だ。
 彼女の部屋を見わたす。
 机の上には色あせたクマのぬいぐるみ。
 僕の努力の結晶でもあり、懐かしい思い出の品。
 今でも大切にしてくれているのが分かる。ちょっと、くすぐったいような、でもやっぱり嬉しく思う。
 床には脱ぎ捨てられた衣類。
 ふと、一つの布が目に入る。
 それは女性特有の下着で。
 でも、よく教室で耳にする、女子たちが話しているような可愛らしいものや、大人っぽい色気あるものではなくて。
 まぁ、端的に言えばいわゆるスポーツブラってやつなんだけど。
 自然、視線は露の胸元へ。
 呼吸に合わせて上下するものの、起伏が限りなく無きに等しいためイマイチ動きが目立たない。
 あれだ。漫画なんかでいい例えがあったな。
 洗濯板とか。
「……ぶっちゃけ、スポーツブラもいらないんじゃ…?」
 平坦な胸元をちらりと見て率直な感想を漏らす。

 すぱーんっ

 ハリセンでいきなり叩かれた。
 どっから出した?
「いたたた…」
「一応気くらいつかえ」
 ただでさえ寝起きで機嫌が悪そうな顔にジト目で睨まれる。
「毎日起こさなきゃいけない僕にも気を使ってほしいんだけど…」
「ぐぅ…」
「寝たふり禁止」
「ちっ」
「ほら、露。早くしないとホントに遅刻するよ」
「んん…」
 まだ、寝ぼけてるのかふらつきながらベットから立ち上がる。
「あ、そうそう」
 露が立ち上がったのを見て僕は漸く言葉にできる。
「おはよう、露」
「ん…」
 その頬には若干赤みがさしているように見えた。


 一緒の登校。
 特にこれといって目立った会話は無い。
 ちらっと彼女の横顔を眺める。
 朝だからというのもあるけど、若干気だるげで、特に表情も浮かべていない何を考えているかわからないような顔。
 長い付き合いだからわかってるけど、彼女は人一倍感情表現が苦手なのだ。
 顔に感情を出さない。
 でも、怒るときは怒るし、拗ねたり嬉しがったりもする、何処にでもいる普通の女の子なんだ。
「……ん?何?」
 視線に気づいた露が訝しげに僕を見てくる。
「あ、いや何でもない」
 じっと顔を見つめていたとばれるのが恥ずかしくて、慌てて視線を逸らす。


 人から勘違いされることも多かった。
 露は何も悪くないのに露が責められたり、時に犯人扱いされたり。
 例えば小学生の時、こんなことがあった。
 掃除当番の時。
 裏庭を分担して掃除していた時だ。
 範囲が広かったため、班の皆で手分けして掃除することになった。
 露はきちんと自分の担当部署の掃除をしていた。
 だがその後、心無い誰かが掃除し終わった場所を散らかしてしまった。
 その後、きちんと掃除していたにもかかわらず、露ひとり掃除をサボっていたということにされてしまったのだ。

 他にも校舎の窓が悪戯で割られたことがあった。
 露はたまたまその現場を通りかかっただけだった。
 人気の無い場所で、露がたまたま通りかかったのを見ていた人がいた。
 現場に露がいたということで窓を割った犯人だと疑われたのだ。

 皆から責められても露からは何も言わない。
 本当のことを言っても誰も信じてくれないから。
 ただ黙って皆の言葉を聞いているだけ。
 心の内ではきっと悔しかっただろう。
 でも、露はただじっと耐え続けていたんだ。

 いつしか、露が人前で感情を出すことは無くなってしまった。


          ***


「…え?」
 僕の言葉に驚きの声を漏らす露。
「今回の転勤は長くなりそうだし、ちょっと遠すぎるから、流石に父さん一人だけを行かせるのはどうかって」
 いつもは父さんだけ単身赴任して、母さんとこっちに残っていた。
 けど、今回はそうもいかないらしい。母さんは父さんの転勤先に一緒についていく、とのことだ。
「ってことは」
 僕にだけがわかるような露の表情の変化。
 今の露は哀しそうな、寂しそうな複雑な表情をしている。
 しまったな、最初から結論だけ言えばよかった。そうすれば露にこんな顔をさせないで済んだのに。

 そういえば以前、露とこんな会話をしたことがあったっけ。
『もうちょっと人見知りも直さないと、男の子にもモテないよ?』
『…別にモテたいなんて思わんもん』
『でも、友達くらいは作らなきゃ』
 人付き合いが苦手な露に僕の他にも誰か信頼し合える人がいれば。
 人から誤解されることが多い露だからこそ、露のことをわかってくれる人が一人でも多くいてくれれば良いのに、と。
『長い付き合いだし、露が感情表現苦手なのはわかってるけどさ』
 だって、露はこんなに素敵な女の子なんだから。そんな露のことを誰にも理解してもらえないなんて、僕が悔しいから。
『露はもっと愛想良くしてさ、皆と接した方が良いよ。露は可愛いんだから』
『……え?』
『…あ、いや、ともかく、僕だけじゃなくてさ、友達たくさん作ろうよ』
『……んなもん、いらん』
 そっぽを向く露につい、嗜めるように言ってしまったのだ。 
『僕だってずっと露と一緒にいられるわけじゃないんだからさ』

 あの時あんなことを言ってしまったからか。
 露は本当にお別れなのだと思ったのだろう。
 だから僕は慌てて付け足す。

「母さんは父さんについていくけど、無理言って僕はこっちに残らせてもらうことにしたんだ」
「……え?」
「この思い出深い街を離れたくないし、それに」
 露に寂しい想いをさせたくない。露にはずっと笑っていてほしい。
「露を一人きりにさせられないしね」
「……ふん、大きなお世話だ」
 照れくさそうにそっぽを向く。その頬が赤く染まっているのを僕は見逃さなかった。
「僕はずっと露のそばにいるよ」
「……うん」
 だって、何よりも僕が露と一緒にいたいんだから。



 幼い頃に出逢った露。
 いつも一緒にいて、一緒に遊んで、一緒に過ごして。
 最初は人見知りな妹を守っている兄みたいな気持ち。
 でもいつからか彼女のことを一人の女の子として好きになっていた。
 露を好きなこの気持ち。
 この想いを彼女に伝えたい。
 でも…
 もし、この想いを受け入れてもらえなかったら…?
 僕のことをただの幼馴染としてしか見られていなかったら。
 今までのこの関係をも壊してしまう。
 それが怖くて。
 この気持ちを伝えられずにいた。



 でも…
 あの日。
 バレンタインの日。
 露が学校帰りにあの丘で待っててくれって僕に言ったんだ。
 月見丘。
 そこで告白すると幸せになれるという伝説。
 その伝説は誰しもが知るものだから、異性を月見丘に呼ぶという事は既に告白したも同然のこと。
 でも、露とはいつもあの丘で一緒に遊んでいた。
 露が果たしてあの伝説を知っているのか。
 知っていたとしても、あの露がそんなロマンチックなことをするのか。

 だけど…
 もしかして、と期待した。
 もし、露が僕にチョコレートを用意していてくれたのなら。
 僕の期待通りなら、僕が先に告白しよう。
 そう決意した。

 でも…
 それが果たされることは無かった…



 放課後。
 先生の手伝いをしていて遅くなってしまった。
 きっと露はずっと待っている。
 一刻も早く約束のあの丘へ、露の元へ行きたい。
 走る。
 気が急く。
 丘への道を急ぐ。
 そして…
 視界を覆う影。
 衝撃。
 暗転。
 途切れる意識。

 気付いたら病院のベットにいた。
 全ての記憶を無くして。

 これは罰だったんだろう。
 あの子の気持ちを確認してから告白しようとしていた。
 卑怯で臆病な僕への。
 今の関係を壊すのが怖かった。もし拒絶されたらと考えたら。
 そう考えたら自分から気持ちを伝えるのが怖かったんだ。
 でも、そんな僕への罰として
 神様は大切なものを奪っていった。

 僕は全てを失ってしまったんだ。
 あの子との思い出も。
 あの子への気持ちさえも。

 そして僕は
 この街を去っていった。
 何よりも大切だったものを置き去りにして。



 けれど…
 罪と罰を抱えながら僕は再びこの街へ帰ってきた。
 そして、彼女と――僕の一番大好きだった少女と再会した。





「約束、守れなくてごめん…」
 約束。
 露と一緒にいると
 露に、
 そして自分自身に誓った。
 でも、それは果たされなくて。
 これからも果たされることは無くて。

 僕は露を傷つけた。
 この街に帰ってきてからも傷つけ続けた。
 そしてこれからも…

 それは、僕が卑怯だったから。
 臆病だったから。
 自分が傷つくのが怖かったから。

 あの子はそれでも勇気を振り絞って気持ちを伝えようとしてくれていたのに。

 だから今度は、今度こそは僕から言わなくてはいけない。
 あの子への気持ちを。

「好きだったよ、露」

 そして決別の言葉を。
 自分が守りたいと思っていた
 ずっと一緒にいたいと願った
 ずっと一緒にいると約束をした
 大好きだった
 あの子を傷つけるための言葉を。


『かつての記憶を取り戻そうが取り戻すまいが、君が君であることには変わりない。今君が思っていること、君の想い、それらは全て西新井綾瀬という人のモノなんだよ』

 そう、僕の気持ちは昔から変わらない。あの時の大切だった気持ち、想いは取り戻した今でも変わらない。
 でも、今僕が抱えている想い、気持ちも紛れもない今の僕自身のモノだから。

「でも、ごめん…」

 そんな僕に彼女はそっぽを向きながら言う。

「アヤが起こしてくれないから、いつも遅刻ギリギリだよ…」
「うん…」
 それはあの日々の僕達の日常で。
「アヤの言うとおり頑張って友達作ったんだぞ…」
「うん…」
 それは彼女の努力の賜物で。
「アヤのこと、大好きだったんだぞ…」
「うん…」
 それは漸く聞くことのできた彼女の気持ちで。
「幸せにならなきゃ許さないんだからな…」
「うん…」
 それは彼女からの決別の言葉。

 僕の方へ向き直りながら告げられた言葉。
 そして露の顔。
 不器用で、無愛想で、人に誤解されやすい娘だった。
 でも本当は人より感情表現が苦手なだけな、恥ずかしがり屋な女の子だったんだ。
 彼女のたまに見せる嬉しそうな笑顔が、僕は本当に大好きだった。
 そんな彼女が目に涙を浮かべ、僕に微笑みかけてくれている。
 でもその微笑みは、無理しているのが僕には丸わかりで。
 素直じゃなくて、普段から無愛想で眠そうでやる気の無さそうで、
 例え誰に何を言われても気にも留めず、ただ自分の思うがまま。
 感情表現なんてしない彼女の、滅多に見たことが無い涙。
 僕の大切な人の涙。


 紙縒り、紡いだ糸のように、いつまでもずっと共に歩んでいくのだと思っていた。
 でも、糸はいつしか解れてしまい、それぞれ別の方向へ別れてしまった。
 二人の運命は分岐してしまったんだ。
 僕たちはそれぞれの道を歩んでいく。

 ありがとう露…
 そしてさようなら、僕の大好きだった女の子…


          ***


 校門前。
 そこに待つ、一つの影。
 ずっと待ち続けていた彼女は僕の姿を見て微笑む。
「おかえりなさい」
 後悔なんてしない。
 するわけにはいかない。
 だって、それはあの子の想いを裏切る行為なんだから。
 僕の一番大切だった女の子が頑張って微笑んで送り出してくれたんだから。
 だから…
 これからは…
 今度こそは大切なものを手放さないよう
 大好きな人と共に歩んでいくんだ。


冨坂メジロルート END



















  • 最終更新:2016-05-30 23:08:38

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